Print This Post Print This Post

< 英語との付き合い ○25 >

NHK-8  取材余話

 「日本人にとって英語とは何か」という命題は、学生の頃からいつも頭のどこかにひっかかっていたが、生活の糧を得る手段として英語のお世話になっているうちについ忘れがちになることもあった。一旦は捨てた英語のおかげで生きているという忸怩たる思いを忘れたい気持ちもどこかにあったろう。そういう思いをほぼ払拭してくれたのが東京オリンピックの取材だった。
選手村はNHKのすぐ隣にあったし、水泳会場は目の前であったから、取材にはまことに都合がよく、毎日のように英米人以外の外国人にも接する機会があり、その取材はほぼ全て英語で事足りた。

 あるDeep Africaの選手に会った時のことだ。私はこれほど漆黒の肌色の人間を見たことがなかった。彼が差し出した手の掌が薄い桃色をしているのを見て私は一瞬たじろいだ。握手をしながら、自らを恥じて彼の目を見ることが出来なかった。しかし、彼は何事も無かったように東京を目指して頑張った日々のことを話してくれ、「オリンピックは”We are all humans. “ だということを世界中の人々が実感できる素晴らしいイベントだ。」と言ってポンと私の肩をたたいた。各国の選手や役員と話しながら、私は英語を学んでよかったと心から思った。英語が、敗戦の中で誓った反戦平和の志を具現化するための必須の道具であることを実感できたのである。
 
 東京オリンピックの取材では、生涯一度の忘れることのできない体験をした。開会式の最終リハーサルを新装成った神宮外苑国立競技場の記者席で見ていた時のことである。この日はあいにくの曇り空で、リハーサルが始まる少し前から雨が降ってきた。ファンファーレが鳴り響き、「鼓笛隊の入場です。」というアナウンスがあって、隊列を組んだ小学生の見事な行進が始まった。鼓笛隊が目の前にさしかかった時、私は突然、溢れ出る涙を抑えることが出来なくなった。一緒に行った若い同僚が驚いて「どうしたのですか」とたずねても、ただ黙って涙を流し続けた。小学生達の華やかな行進が、ふりしきる雨の中を小銃を肩に分列行進する出陣学徒の姿と重なった。その中には、学徒動員で同じ工場で兄貴分として一緒に働き、特攻隊員として散った早稲田大学の学生達もいたはずだ。21年前の同じ10月、まさにこの場所、このトラックであの悲劇的な雨中の分列行進は行われたのである。

 人前で涙を見せてはならないという古い掟をかたくなに守ってきた私にとって、生涯ただ一度の人前での涙は、何も知らずに歓呼の声で送り出したことへの悔恨と、二度とない人生を自分の意思によって生きることのかなわなったわずかに年上の若者達への鎮魂の涙だったと思っている。(M)