Archive for 12月 7th, 2010

訳読が現代の学校ではもはや機能しなくなっている第1の理由は、それが結局のところエリート教育にならざるを得ないことです。文法訳読式教授法の起源をたどると、中世の終わりから近代初期にかけてのルネッサンス期のヨーロッパにたどり着きます。その時代の教育は貴族や金持ちなど一部の支配階級のものでした。彼らは家庭教師を雇って子弟を教育させましたが、それは基本的に先生と生徒が一対一で対面する教育でした。英国でも16世紀初頭から17世紀初頭にかけて多量のギリシャ語とラテン語が英語の中に入ってきて、それらの言語を教えるためのグラマースクールが各地に作られました。それらはその名の通り、主としてラテン文法を教えるためのエリート学校でした。一方、日本の江戸時代の寺子屋はもっと開かれた庶民のための教育機関でした。そこには町の学問好きの子ども(というより、学問好きの親を持つ子ども)がやってきました。時に大勢の生徒が集まったこともあったでしょうが、基本的には先生と生徒が一対一で向き合って四書五経などの漢文を読むというものでした。そこで用いられた読み方は主として素読でした。これは意味のわからないものをひたすら音読するというものでしたから、訳読よりももっと乱暴な教え方でした。これに耐えることのできた生徒は、知的能力と忍耐力の面で人並みはずれた子どもたちだったと思われます。

 これに対して現代の公立学校は、すべての子どもが就学を義務づけられている民主的な教育機関です。高校は制度としては義務教育ではありませんが、20世紀の終わりには実質的に義務教育化しています。したがって在籍する生徒はいろいろです。しかし、そこではすべての生徒が原則として平等に扱われます。金持ちの子どももそうでない子どもも、能力のある子もそうでない子も平等です。そういう多様な子どもたちが学年ごとにクラスを作っています。そしてその大きさは、日本じゅうのほとんどの高校で40人の定員いっぱいです。そういうわけで、一部のエリート養成をめざす私立学校を除くと、昔の英国のグラマースクールや日本の寺子屋で機能していた訳読や素読は、もはや現代の学校では通用しなくなっているのです。

 第2に、多様な生徒からなる大クラスにおいては、訳読はあまりにも非効率的な教授法です。それがいかに効率の悪いものかは、たぶん皆さんも英語の授業で経験したことがあると思います。先生が誰かを指名します。指名された生徒は立ちあがってリーダーを読み始めます。なんてヘタクソ!とあきれるような発音の人がいます。先生が ‘That’ll do’ (そこまで)と言うとそこで止め、読んだところを訳し始めます。ところが、予習をしてきた生徒の場合はまだしも、そうでない生徒のときは惨憺たるものです。先生がちょっとヒントを与えるくらいではどうにもなりません。先生は慣れていますから忍耐強い。筆者は中学生のころ英語の先生の忍耐強さにはいつも感心したものです。意地悪な先生もいて、わざと怠ける生徒を指名してチクリチクリ皮肉を言っていじめる人もいました(今はそんな先生はいないでしょうね?)。まじめに勉強する生徒にこんな授業は耐えられません。たいてい内職をするか、他のことを考えています。そして最後に先生が模範訳を示します。それをノートに書き写す生徒もいます。試験の時にその通り書かないと減点されるからです。こうして1時間に1ページがやっと終わるというわけです。客観的に見て、このような授業はおおむね時間の浪費であり、リストラされてしかるべきものです。おまけに英文法の授業があります。そういう名の科目はとっくに学習指導要領からリストラされたはずですが、いまだに多くの高校で生き残っています。この授業も似たようなもので、例文を読んで訳して、先生が説明して、練習問題の答え合わせをするだけの、退屈きわまりない授業です。こういう極端な文法訳読方式は現在では少なくなったかもしれませんが、筆者の耳に届く多くの証言から、基本的にその方式に則った授業がまだ根強く残っているようです。

 訳読式の授業のもう一つの問題点は、これまで多くの人が指摘しているように、それが音声を無視した授業になりがちなことです。この種の授業では先生と生徒が英語を口にするのはテキストを音読する時くらいなので、聴いたり話したりする能力はほとんど育ちません。その音読もおざなりなもので、英語らしい発音は身につきません。そういうわけで、たとい読解力は多少ついたとしても、学校を出てから自力でスピーキングを学ぶ素地もできていません。これが今日の多くの日本人が学校での英語学習で経験したことではないでしょうか。そして6年も10年も英語をやったのに何もしゃべれない!と嘆きます。その原因のすべてを訳読に帰すことは難しいかもしれませんが、それが一大原因であることは間違いのないところです。(To be continued.)