Archive for 3月 26th, 2011

< 危機対応の甘さ > 松山 薫

藤沢のプールでたまに出会うアメリカ人と帰りがけにロッカー室で隣り合わせになったので“Don’t you evacuate ? ”と聞いてみた。“Yes, I do.” “ When ?〝 That depends.”という短い会話のなかで、髭面だが柔和な彼の顔は明らかにいつもとは違っていた。その2日後、事実上の母港である横須賀でメインテナンス中のアメリカの原子力空母ジョージ・ワシントンが突然出航した。メインテナンス中の出航は異例のことだが、理由の説明はなかったという。私はふと、あのアメリカの青年は、この空母の乗組員ではなかったかと思った。この話を団地の知人にすると、アメリカの別の空母ロナルド・レーガンが被災地の沖に停泊して救援活動をしているのだから、それはかんぐりすぎだよと軽くいなされた。しかし、私はそれほど楽観的にはなれない。長く横須賀に停泊していたジョージ・ワシントンと違い、ロナルド・レーガンの乗組員は、放射線に対する十分な防護措置を講じているに違いないからだ。アメリカのルース駐日大使が在日アメリカ人に対して避難を呼びかけたビデオを見ても、
同じ様な危機感がにじみでていた。
 
 原発安全神話に馴らされた日本人以外は、福島第1原発の異様な姿を見て、原子炉のいくつかが爆発する悪夢を頭に描いているに違いない。プールで出会ったアメリカ人や、ルース大使の顔にそう書いてあった。つまり、彼等は今度の事故を、disasterではなく、catastropheと捉えているのだ。 たしかにチェルノブイリの事故と異なり、福島原発の原子炉では、核分裂反応は起きていないのだろう。したがって原子炉が爆発する可能性はないかもしれない。しかし、炉心溶融の結果、炉内の圧力が強まって原子炉や配管にひびが入り、放射性物質が大量に流れ出せば、結局は同じなのである。事実、390万ベクレルという異常に高濃度の放射性物質が水に溶けて流出していることがわかったという。

 日本政府も今度の事故を重大な危機と捉え、最初からそのように対応すべきではなかったのか。アメリカ政府が在日米人に80キロ以内からの避難を呼びかけたとき、日本政府や一部の専門家は過剰反応であると断じた。だが本当にそうか。初めに80キロ或いは50キロを危険区域と定め、そのなかで、グレイドを分けて、危険がないと判断すれば、距離を縮めていく方法をとっていれば、一時パニックが起きてもやがて静まっただろう。反対に、初めに2キロ、次ぎに3キロ、10キロ、20キロ、30キロと範囲を広げていくと国民の不安心理はそのたびに増幅する。挙句の果てに、200キロも離れた東京の水道水まで汚染する事態となった。国民は明らかに、政府のつぎはぎだらけの頼りない対応に不安を募らせている。
 
 原子炉の安全のチェック、規制を行政の一部門(原子力安全・保安院 経済産業省の機関)が担当していることにも問題がある。アメリカの原子力規制委員会は、大統領の指名により上院の承認を受けた委員長ら5人で構成されている。日本にも同じ様なステータスの原子力安全委員会があるが、規模が格段に小さい。今回の危機にあたっても影が薄いが、菅首相は、この委員会のアドバイスを受けて対策を決めているという。であれば、原子力安全・保安院の役人ではなく、この委員会が国民の矢面に立つべきだろう。私が記者会見に出たら、先ず、
この委員会が、避難範囲を最初2キロと決めた根拠を問いたい。

 危機を段階的にコントロールできるという危機管理の思想は、人知の及ばない自然災害には通用しないし、不遜でもある。この国が災害列島であることを思えば、スケールの大きな複合災害に対応し、持てる力を結集したスケールの大きな対応策が必要である。たとえば地震や津波による原発事故の場合、原発の開発に反対してきた人達や耐震性に疑問を持ってきた人達の意見も聞くべきだろう。その上で、大局的な立場から政治に判断してもらいたい。安全性を強調してきた原子力安全委員会には、事故をなるべく軽微にみたいという心理が働くことは当然だからだ。今からでもそのような対応策をとって欲しいと思う。(M)