Archive for 11月 1st, 2012

英語の授業中になされる活動は、大きく分けると、テキストの内容を理解するための活動(内容理解活動)と、理解した英語を使って話したり書いたりする活動(言語使用活動)とに2分されます。高校での英語授業の多くは前者の内容理解活動に当てられ、理解したものを実際に使ってみる時間が非常に少ないのが普通です。これに関する調査があるかどうかを筆者は承知していませんが、高校で行われているほとんどの授業が、テキストの理解に終わっていると言っても過言ではないと思います。その原因にはクラスサイズの問題もありますが、生徒に与えられるテキストが難しすぎることにも一因があります。特に進学校と言われる学校では、いちばん難しいとされる教科書が選択される傾向があります。高校の教科書は学校ごとに選択されますから、教師たちはおそらく大学受験への対応を最優先にするのでしょう。彼らは、より多くの生徒を有名大学に合格させるには、易しい教科書では対応できないと信じているからです。生徒の方も、自分たちがいちばん難しいテキストを使っていることにプライドを感じるようです。そういうわけで、高校での英語授業は難しいテキストを少しずつ読み解いていくという、古典的読解法(文法訳読法)がいつまでも続いているわけです。

 テキストの全文を和訳するという古典的指導法の大きな欠点は2つあります。第1は時間がかかりすぎることです。40人もの大クラスの中から特定の生徒を指名し、少しずつ訳をさせていくというやり方では、著しく効率がわるい。予習をしてきて指名される準備ができている生徒たちだけであれば、授業は比較的にスムーズに進行します。先生は生徒の訳の不完全な箇所を指摘してあげればすみます。しかしそういうことが期待できるクラスは少ないでしょう。たいていのクラスでは、多くの生徒は準備不足であり、しどろもどろの訳または沈黙によって、他の生徒たちの学習を妨害します。そんなとき先生は助言をしたり励ましたりして退屈さを軽減しようとしますが、さほど効果はなさそうです。いちばんつらいのは、準備がよくできている生徒です。かれらはすでにテキストをよく知っていますから、この訳読の授業の大半は時間の浪費です。この授業は内職にかぎる、と決めている生徒もいるはずです。

 訳読法の授業が効果的なのは2,3人から数人までの小クラスです。かつて筆者は大学の原書講読のクラスでそういう授業をしたことがあります。そのクラスはきわめて能率的でした。そこでは受講者全員が予習をしてくることを義務づけられていましたので、学生が順番にパラグラフごとに訳していって内容を確認し、読んだ内容について議論をすることもできました。訳読法というのは、個人教授または数人くらいの小クラスでは有用な指導法になり得ることを、筆者はそのとき実感しました。しかしこれは40人もの高校生のクラスでは通用しません。

 この古典的指導法の第2の欠点は、このやり方ではテキストの内容理解に時間がかかり過ぎて、もう一つの重要な活動、すなわち生徒が理解した言語を使って言ったり書いたりする時間が取れないことです。音読だけはやっていますという方がいますが、もっと詳しく聞いてみると、授業の終りにせいぜい5分ほどの時間を充てる程度に終わっています。時には内容理解に時間がかかって、予定していた音読までできなかったということもしばしば起こるようです。その場合には、音読は家でやってください、ということになります。これではとうてい言語使用活動とは言えません。

 そういうわけで、テキストの内容理解を効率よく行うためには、和訳と文法説明の時間をできるだけ減らして効率化することを考える必要があります。そのためには、教師がテキストを予習することは当然ですが、生徒にも可能な範囲で協力してもらうことが不可欠です。良い授業とそうでない授業との違いは、生徒がどれだけ授業に協力的であるかどうかによります。先生がどんなに一生懸命でも、生徒が乗ってこない授業は授業とは言えないのではないでしょうか。筆者は、そのためには次の3つの方策が考えられると思います。いずれもかつて大学1年生の一般英語の授業で試したことのあるものです。

1)英文テキストの和訳をプリントして事前または事後に配布する。

2)予習プリントを教師が作成し、それを生徒に配布して予習を義務づける。

3)テキストの内容や難易によって、理解にとどめる教材と産出(アウトプット)にまで発展させるものとを区別し、生徒にも予めそのことを伝える。

これらについて次回から順次取り上げます。(To be continued.)