Archive for 4月 10th, 2013

私たちはみな、母の胎内で新しい生命を得たその瞬間から、自分自身と付き合ってきました。ですから私は、自分の身体がどのようにして作られてきたかを知っているはずです。知っていると言っても、そのプロセスを言葉で説明することはできません。母の胎内にいたときには、私はまだ言語を知らなかったからです。しかしそのときの私は、たしかに意識を働かせていました。意識の活発な参加がなくては、私の身体のどの部分も作られることはなかったでしょう。ただ、言語をまだ持っていなかったので、言語的な記憶としては何も残っていないのです。

 ここで「意識」(consciousness)ということについて考えてみましょう。この用語は扱われる分野によって様々に定義されますが、私たち(ガテーニョと筆者)は次のように考えています。意識は、個人のなすすべての活動に姿を表わします。それは、「私がそこに在る(I am present there)」ことを自己にフィードバックする気づきの状態です。たとえば、今の私はこの原稿を書く仕事にすべての注意を向けています。私は気を散らすものには自分を閉ざしています。FM放送からはモーツァルトの音楽が流れていますが、集中するときには聞こえていません。それが私の集中を妨げるときには、手を伸ばして電源をオフにすることができます。私は長年の学習によって気づいた事柄を総合し、その中に私の意識を正確に置き、パソコンのモニター画面に目を凝らします。それと同時にキーボードを叩いてこれらの語を画面に書き加えます。キーボードを叩くこと自体は自動的な技能になっています(注)。私は書いている内容を分析し総合することにエネルギーを集中し、それ以外の事柄にエネルギーを向けないようにします。意識は私の自己と密接に繋がっているエネルギーなのです。

 これを胎児のレベルに当てはめてみましょう。母親の子宮内では、胎児は主として自分の身体を作ることに専念しているのですが、同時になすべきことが他にもたくさんあります。実際に、胎児が早産して臍帯なしに生き延びることができるということは、それが母親の胎内において身体を作ることだけでなく、自分自身に関して何かをなしてきたことの証明です。つまり胎児は、しだいに分化していく組織に関わると同時に、すべての組織を自己に所属させてそれぞれの機能を最もよく発揮させるようにするという、二つの大きな仕事をなしているのです。だからこそ、未熟な状態で生まれてきても生き延びるだけの、驚くべき身体的機能を発揮することができるのです。これが胎児の身体形成に意識がかかわっていることの証拠です。

 母の胎内での生から胎外での生への転換は、私たちの一生の中で最大の難関でした。誕生と共に環境が急激に変化してしまったからです。生まれてきた赤ちゃんは多くの新しい任務を負わされます。まず肺に空気を送り、自分で血液に酸素を供給しなければなりません。食物は、これまで母親が処理したものが臍の緒を通して組織の中に送り込まれていました。こんどは自分の口から取り入れ、それを食べ(または飲み込み)、自分の器官が処理することができるようにしなくてはなりません。また、これまでは息を吸い込む必要がなかったのに、こんどは空気を吸い込むという新しい行動を作り出さなければなりません。それらに失敗することは死を意味します。それらの行動はすべて本能によって獲得されると言う人がいますが、それは見当違いです。赤ちゃんの注意深い自己は、誕生以前にも多くの仕事をなしたのですが、ここでもまた抜け目なく見張っており、次々に直面する困難な課題を解決するために自己の持てるすべての力を利用するのです。そういうことができるのは、赤ちゃんがお母さんの胎内で自分とじっくり付き合ってきたからなのです。

 生まれてきた赤ちゃんはよく眠ります。睡眠はしばしば人生の無駄な時間と考えられてきましたが、最近は違ってきました。しかしそれは依然として多くの謎を含んでいます。私たちの考えでは、睡眠は個体が環境からの影響を絶ち、自分自身に付き合う時間です。眠っている間、人は外からの一切のエネルギーの流入を絶ち、自分自身の中に閉じこもり、覚醒時に外から取り入れた多量の情報を整理し、過去から現在に至る全体の中での位置を理解しようとしているのです。母の胎内から生まれ出た赤ちゃんは、この世界から受ける多量の刺激に圧倒されて、自分自身の中に退避する必要があるのです。それが睡眠であり、睡眠によって赤ちゃんは自分との対話を取り戻すことができるわけです。大人は赤ちゃんほどの睡眠時間は必要としませんが、それでも平均7~8時間は眠ります。このように考えると、睡眠は私たちの意識的な生の、非常に重要な一部なのです。(To be continued.)

 (脚注)「自動的技能」というのは、ある仕事を反復することによってしだいに意識の量を減らしていき、最終的に最小限の意識をもってその仕事を遂行できるようになる技能のこと。そうすることによって私たちは自己を解放し、他の必要な仕事に専念することができるのです。