Archive for 5月 30th, 2013

「音節」(syllables)という言語単位は日本人にはなじみの深いものです。なぜなら、私たちは日本語の発話を意識的に細かく区切るとき、音節が自然な最小単位となるからです。「あ・し・た・て・ん・き・に・な・あ・れ!」というふうに。たいていの子どもは就学前に「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」を知っていますし、多くの子どもが「あ・い・う・え・お・か・き・く・け・こ」の50音を言うことができます。日本語の「カタカナ」と「ひらがな」は音節文字ですから、口で言うことのできるものを文字で表わすこともさほど難しくはありません。日本人に文字の読み書きができない人 (illiterates) が少ないのは、そのことも関係しています。小学校に入って、子どもたちが苦労するのは漢字の学習です。漢字は表意文字ですから、話せるようになっても、簡単には覚えられません。小学校6年間でいちばんの思い出は何かと尋ねられたら、筆者のように、「来る日も来る日も漢字の書き取り練習とテスト」と答える人も多いのではないでしょうか。

 これに対して「音素」(phonemes)という単位は、その存在に自然に気づくというものではありません。日本語を母語としている私たちは、「音節」という単位には比較的に早く気づくのですが、「音素」という単位にはなかなか気づきません。なぜなら /ka/ という音が /k/ という子音と /a/(または /α/ )から成るものと意識することはないからです。文字を習うようになっても、日本語の表記では /ka/ は「か」または「カ」と音節で表記されますから、文字を知っても、それらを音素に分析する必要がありません。その必要が生じるのは、おそらく、日本語をローマ字に表記するときです。近年は国語の授業でローマ字を扱わないようですから、子どもたちが音素という単位を知るのは、英語を学ぶようになってからかもしれません。

 そこで英語を学び始めたとき、子どもたちは「母音」や「子音」という発話の単位に戸惑うのではないかと思われます。まず母音ですが、英語には日本語の「あ・い・う・え・お」に代わって20個もの母音があると聞いたなら、彼らは驚くはずです。筆者は中学生時代に、残念ながら、そのことをきちんと教えてもらった記憶がありません。そういう知識を得たのはずっと後の段階になってからだったと思います。英語の授業では、ケースバイケースで、「hat とhut の母音は違うことに気をつけて発音するように」というような注意をされていました。前回紹介したカラー・チャートは、間違いなく、英語の母音システムの全体像を生徒に把握させるのに役立つ優れた方法です。しかしカラー・チャートでなくても、中学生以上の学習者に対しては「英語の基礎母音表」(注1)のようなものを教師が工夫し、それを常に参照しながら授業を進めることができます。そうすることによって、生徒はいま学習している母音が、英語母音システム全体のどの位置にある音かを、頭の中で確認することができます。

 具体的には、生徒はそれぞれの母音の前後に子音を組み合わせることによって、有意味な単語を構成することができることを実体験することになります。たとえば、/æ/ という母音を中心として構成されている単語の発音を練習するとして、生徒たちの知っている英単語の中から、その音を含むと思われるものを当て推量で言わせます。生徒が「バット」と言うと、先生はそれを /bæt/ と正しく発音します。生徒が「ラケット」と言えば、先生はそれを正しい発音で言って聴かせます。そこで注意すべきことは、先生はそれを何度も繰り返さないことです。先生ではなくて、生徒が自分で満足するまで練習することが重要なのです。教室で行われる練習は、一般に、先生が2回も3回も反復して聴かせ、生徒はそれを1回だけ発するというようなことが多いように思います。これはあべこべです。先生が1回言ったら、生徒はその音の感覚を自分自身にインプット(またはインテイク)できたと思うまで何回も言ってみるべきです。そして先生は生徒の出す音を一人ひとりチェックして ‘Good’ と言ってあげます。そのようにして生徒は、発音に関する自分自身の内的評価基準を創り上げていくのです。

 以上は母音を中心に見てきましたが、母音と並んで、子音に注意を向けることも大切です。子音のシステムは、日本語と英語とでその総数には大きな違いはありません。英語の辞書や音声学書の多くは区別すべき子音の数を24としています。日本語の子音の数も大体それくらいです。しかしその中身はかなり違っています。特に注意すべきものは、英語にあって日本語にはない音(f, v, θ, ð, l, rなど)です。それらは日本人にはとくに習熟が難しいものです。また日本語にあって英語にはない音(, ç など)(注2)についても、生徒は日本語の音を英語の類似した音に代用する傾向があるので注意を要します。さらに、子音の現れる環境(その前後にどんな音がくるか)の違いがあります。たとえば /m/ や /n/ は日本語にもある子音ですが、それらは語の末尾にくることはありません。加えて子音連結の問題があります。それらも日本人には難しいものです。というわけで、日本人の英語学習者は学習の開始時から、発音に関して多くの問題を抱えています。それらのすべてを学習の初期に完成させることはできませんので、学習者が自分の抱える問題点が何であるかを知り、それらに意識を向けながら学習を進めていくことが重要です。そうしなければ発音の進歩はあり得ません。私たちの母語の習熟も、基本的には、そのようにして達成されたものなのです。(To be continued.)

 (脚注1)英語の基礎母音表については次のものを参照してください。(1) Daniel Jones, English Pronouncing Dictionary (London: Dent).(2) 土屋澄男編著『新編英語科教育法入門』(研究社)第7章 発音の指導.

(脚注2)// は唇を丸めて出す両唇摩擦音で、日本人は英語のfanを「フアン」のように発音しがちです。/ç/ は「ヒ」を強く発するときに出る硬口蓋摩擦音です。日本人の多くはhe, hereなどを発音するときにこの音を使います。そのほかに、日本語の「ん」は鼻音で、英語の /n/ とは異なる半母音です。An egg は「アン・エッグ」となりがちです。また、日本語の「ラ行」の子音は英語の /r/とも /l/ とも異なる口蓋破擦音です。したがって、英語の /r/ と /l/ は日本語の子音システムから欠けている音と考えるべきです。