Archive for 4月 19th, 2014

(193)< 人権大国への道 >

国土と隣国 隣国−3 中国

② 尖閣諸島領有権問題

 尖閣諸島(中国名:釣魚島)は、海上に突き出た3角錘の岩山の形から、古くから東シナ海を航行する船の目印となっていた。最初に文献に現れたのは、1405年、明の大船団の世界航海に参加した船乗の航海術の本であるという。( 「海路としての尖閣諸島」山田慶児 編集グループシュア)

 そこで、中国は、釣魚島島嶼はすでに明の時代(1368~1644)から中国の領土で台湾に付属する島嶼であると主張する。しかし、この時代は、中国皇帝によるいわゆる冊封の時代で、国境という概念は存在しなかったという。国境の概念は、ドイツを舞台として戦われた30年戦争の終結にあたり、近代の国民国家(nation‐state)を生み出したウェストファリア条約(1650)から始まるとされる。

日本政府の主張は次のとおり:(外務省HP)

① 歴史的経緯:1885年以降、数回にわたる調査により、清国の支配がおよんでいる痕跡がないことを慎重に確認の上、1895年1月にわが国の領土に編入。その後政府の許可に基づいて、移民が送られ、鰹節製造等の事業経営が行なわれた。
② 日本政府の立場とその根拠:1895年1月のわが国領土への編入は、国際法上、正当に領有権を取得するもの(無主地の先占)。その後、1968年に周辺海域に石油資源が埋蔵されている可能性が指摘され、1971年中国政府並びに台湾当局が領有権を主張するまで、日本以外のいずれの国、地域も領有権を主張したり、異議を述べることはなかった。
③ 日本の基本的な立場: 尖閣諸島が日本固有の領土であることは、歴史的にも、国際法上も明らかであり、現にわが国はこれを有効に支配している。尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題は、そもそも存在しない。
  * 尖閣諸島(群島、列島)という名称は、イギリス海軍が名づけた the Pinnacle Islands ( pinnacleは教会の尖塔 )の訳語で、主島は東側から魚釣島、久場島、大正島。
 
 これに対して、中国政府は1971年12月30日、日米間での沖縄返還にあたって声明を発表し「昔から中国の領土であった釣魚島などの島嶼は(中国の一部である)台湾に付属するものであるのに、日米両国政府が沖縄返還協定の中で、これらの島嶼を組み入れた。歴史的には、日本が中日甲午戦争(日清戦争)を通じて台湾とともに、中国から掠め取ったものだ」と激しく非難している。

 * 領土に関する国際法では、国家が特定の地域について領域権限を有する時、領土への帰属が認められる。領域権限を取得する方式として、伝統的に、先占、割譲、併合、征服などが認められてきた。

 領土紛争は、そこに資源があれば過熱化する。1914年から1974年までの60年間に起きた124件の戦争・紛争の内、半数以上の74件が石油の埋蔵地帯をめぐる争いであった(国境とはなにか 野村甚三郎 芙蓉書房)。尖閣諸島周辺の石油資源の埋蔵量については、1000億バレル前後(イラク並み)という説がある一方たいした量ではなく、採掘ができるかどうかも不明という話もあり、ハッキリしたことはわからない。

 尖閣諸島の領有権問題は、前回述べた1972年の日中国交正常化の際と1978年の平和友好条約締結の際、棚上げにすることで暗黙の了解があったという。日本の外務省は、「中国側との間で尖閣諸島について、『棚上げ』や『現状維持』について合意した事実はない」としているが、元外務省条約局長の東郷和彦は次のように述べている。「国交正常化の際、当時の周恩来首相は田中角栄首相に、尖閣諸島問題について”今回は話したくない“と発言。平和条約締結の際には鄧小平副首相が園田外相に”今は突き詰めるべきではない。次の世代、さらに次の世代が方法を探すだろう”と述べて日中友好を優先させる姿勢を示した。この2回の発言に対して、田中首相、園田外相がなんと言ったかについて、少なくともこれを拒否する発言はなされていないし今はとり上げないことについての暗黙の了解が成立したことは、否定すべくもない」(「歴史認識を問い直す」東郷和彦 角川書店)。 また、元共同通信記者の外交評論家青山繁晴は、「日中双方は、これ(尖閣諸島の領有権問題)を外務省の局長級協議で、およそ30年間棚上げすることで合意した」という外交文書があるという。(日中の興亡 青山繁晴 PHP研究所)

 魚釣島(中国名:釣魚島)の名の如く、尖閣諸島周辺海域は好漁場なので、沖縄の石垣島や台湾の漁船が出漁している(昨年日台漁業協定締結)。中国本土からは300キロ以上離れているが、日中平和友好条約が締結される4ヶ月前の1978年4月には、中国漁船200隻が船団を組んで出漁し、日本側の主張する領海に侵入した。また2008年には中国海洋調査船2隻が初めて領海に侵入して9時間にわたって航行し、中国海洋局は、この海域での中国の主権を明らかにするための行動だと主張した。これに対し、日本の海上保安庁は、翌2009年からヘリ付きの大型巡視船の常駐化を計ることとなった。

 こうした中で、2010年領海内で中国の漁船が日本の巡視船に体当たりするという事件がおき、その映像がネットで流されたことから、日本の中国に対する国民感情は一層悪化、一方中国でも反日デモが各地に広がり、一部が暴徒化して日本企業を襲うなどして、両国間の
対立がエスカレートしていった。
       
 このような状況の下で、2012年4月、東京都の石原慎太郎知事が、尖閣諸島の実効支配を確実にするため港湾施設を作るとして、個人の所有であった尖閣諸島を都が買い入れる計画を発表し、現地調査を実施したことから、中国政府は激しく反撥した。これに対して野田内閣は、「平穏かつ安定的な維持管理のため」として国有化の方向に動き出した。9月9日のAPEC首脳会議で中国の胡錦濤国家首相は野田首相に対し「国有化をしたら大変なことになる」と警告したが、2日後の閣議で野田内閣は国有化を閣議決定した。中国側は面子をづぶされたとして硬化し、日中関係は、国交正常化以来最悪の状態に落ち込むことになってしまったのである。

 とにかく、領土紛争というのは武力衝突に発展しやすい。双方の国民感情が沸騰して、それぞれの政府が弱腰批判を怖れ、或いはそれを利用して武力行使に至るのである。ガストン・ブトゥ−ルの「戦争の社会学」によると、1740年から1974年の250年足らずの間に366件の武力衝突が起きているが、その3分の2の246件が領土紛争だという。

 領有権を主張する時よく「わが国固有の領土」というが、”固有の領土”などというものは歴史上存在しないという(朝日新聞 歴史の根っこ ④ 東大教授 小島毅)。植民帝国だったイギリスには「イギリス貴族の領有地の隅に、浮浪者が無断で小屋を建てて住み着いた。貴族が“ここは私の領地だ。出てゆけ!”と怒鳴ると浮浪者は“お前さんの先祖がやったこととどこがちがうんだよ”とうそぶいた。」という小話がある。

 中国が、14億を超えるといわれる膨大な人口を養うために、資源の確保やそのためのシーレーン防衛に血眼になっている事情は理解できる。だからと言って一方的、権力的に自己の主張を押し通そうとすれば、それは自己の主張に自信のない現れであると受け取られ、日本をはじめアジアの隣国の理解を得ることはできないだろう。長い目でみて、海底資源は将来の世代のために残し、両国関係が修復した後で、チエを出し合って共同開発について話し合う以外に解決の方法はないだろう。その話し合いを通じて、両国関係が、画期的に友好発展へ向かうことを願っている。(M)