Archive for 6月 7th, 2014

< 人権大国への道 >

所与の条件 隣国 4 

ロシア ② 北方領土問題
 
 北方領土というのは、北海道根室沖の歯舞・色丹・国後・択捉の4島のことで、歯舞はいくつかの島からなる群島である。現在これらの4島は、いずれもロシアが実効支配している。

 日本政府は、日露和親条約が締結された2月7日を「北方領土の日」と定めて、毎年返還促進をもとめる会合などを開いているが、あまり盛り上がっているとは言えない。それは、国民が無関心だからだ。無関心の原因は、多分「4島一括返還」という政府の方針に対し、多くの国民が実現の可能性が薄いと考えているからだろう。それはまた、あのロシアが返すはずがないという国民多数が抱くロシアへの不信感、警戒感の裏返しでもある。

 前回述べたように、これらの島が歴史上日本とロシアの外交交渉の対象になったのは、安政元年(1855)の日露和親条約であった。この時両国は、千島列島の択捉島とウルップ島の間に国境線を引き、いわゆる北方4島は日本の領土となった。ただ、この時の交渉はオランダ語で行われたため、千島列島(the Kurile Islands)の範囲について両国の条約正文には微妙な違いがあったという。その後明治8年の樺太・千島交換条約で、樺太を放棄する代わりに、千島全島(カムチャツカ半島先端沖の占守島まで)が日本領となった。

 太平洋戦争で1945年8月14日、日本が連合国側に無条件降伏を通告した後、ソ連軍は、8月18日北千島の占守島に侵攻し、日本軍守備隊と戦闘になって双方に千名を超える死傷者が出た。日本軍は軍司令部の命令により降伏した。ソ連軍は9月4日までに南千島の歯舞、色丹、国後、択捉を含む全千島で日本軍の武装解除を行い、シベリアへ連行した。

 無条件降伏に当たり日本が受諾したポツダム宣言には、「日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国並びにわれらの決定する諸小島に局限されるべし」となっており、諸小島に北方領土が含まれるのかどうかが問題になるのだが、これについて日本政府は、南千島の4島は、千島列島に含まれず、ソ連の参戦は日ソ中立条約違反であり、占領に法的根拠はないと主張している。一方、元外務省国際情報局長の孫崎亨は次のように述べている。「北方領土という概念は後になってできたもので、その中身は『北海道の一部である歯舞島と色丹島』と『千島列島の南端である国後島、択捉島』に分かれます。そして後者に関しては、第2次大戦が終わる以前から、アメリカが『ソ連に引き渡す』と明言しているのです。」(戦後史の正体 孫崎亨 創元社)

 日本は戦後、アメリカ軍の占領下にあったが、朝鮮戦争でアメリカ軍が苦戦したため、アメリカは日本を同盟国として再建強化する政策をとり、講和条約の締結を急いだ。これに対し日本では日米軍事同盟体制の固定化に反対し、ソ連、中国を含む全交戦国との講和を望む全面講和論とアメリカとの単独講和を急ぐ単独講和論が対立した(世界大百科事典)。単独講和を急ぐ吉田茂首相は、全面講和論を展開した東京大学の南原繁総長、大内兵衛、丸山真男らを”曲学阿世の徒〝と批判した。吉田首相は1951年52か国とサンフランシスコ講和条約に調印し、条約は翌1952年に発効して日本は敗戦から7年を経て主権を回復した。ソ連、中国、インド、ビルマ、ユーゴスラビアなどは講和条約に参加しなかったので、法的にはソ連とは戦争状態が続いた。(現在も継続中という説もある)

 吉田茂に代わって政権の座についた鳩山一郎は、外相兼副総理に対米自主路線派の重光葵を据えてソ連と交渉、1956年10月、自らモスクワを訪れて、ブルガーニン首相と日ソ共同宣言に調印して国交を回復した。この共同宣言の中で、○ 両国は、戦争状態を終結して国交を回復すること ○ 引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結以後にソ連は、歯舞諸島と色丹島を日本へ引き渡すこと ○ ソ連は対日賠償請求権を放棄すること ○ ソ連は、日本の国連加盟を支持することなどを取り決めている。これによって同年12月日本の国連加盟が実現した。
しかし、平和条約締結の前提となる領土問題の交渉は、米ソの冷戦の下で、その後、ゴルバチョフ書記長の時代になるまでほとんど進展しなかった。

 冷戦が終結し1991年ゴルバチョフ大統領が日ソ間に領土問題が存在することを公式に認めた。 それからすでに4半世紀近く、両国の間では、北方4島の帰属をめぐってon-and-offの交渉が行われてきたが、見るべき進展はなかった。東郷和彦・元外務省条約局長によると、その間何回か交渉進展の機会があったが、実らなかったという。長く対ロ交渉を担ったこの元外交官によると「4島一括返還」はありえないし、「歯舞・色丹の返還を先行させ、国後、択捉についてはプラスαの形で交渉を続ける」ことが最善の策だとして、そのための交渉の機会もあったのに逃してしまったという。( 歴史認識を問い直す 東郷和彦 角川書店)

 プーチン大統領の再登場によって、再び領土問題が急浮上した。プーチン大統領は、お得意の柔道になぞらえて、早く両国の事務当局に「はじめ」の指示をだし、「引き分け」で終わらせようと提案した。これは日本にとって絶好のそして最後のチャンスであるかもしれなかった。しかし、愚図ぐすしているうちに、ウクライナ問題が起きてしまった。プーチン大統領にとってはもはや、領土問題で譲歩するのは難しくなってしまったのではないか。

 北方4島には現在1万7千人のロシア系住民がおり、ロシア政府は2007年からクリル社会経済発展計画に基づいてインフラの整備を進めている。事実上ロシアの領土化が進んでいるから、もし、ロシアがクリミア方式の住民投票を持ち出してくれば、日本側に勝ち目はないだろう。一方、1万7千人いた日本の旧島民は高齢化が進み現在7千人余りに減っており、平均年齢は80歳に達している。2008年野の内閣府の「北方領土問題に関する調査」では、「返還運動に参加したい」と答えたものは。わづか2%であった。

 これで、所与の条件<隣国との関係>を終わるが、日本の中学・高校では、近現代史の学習が十分行われていないという指摘がある。もしそうだとしたら,過去の事実を知らずして、どのように現状を理解し、今後、どうして、これら隣国との信頼関係を築いていけるのだろうか。(M)