Archive for 8月 1st, 2015

蟷螂の斧 ⑫ 終章  < この国の未来  私の視点 > 

12. この国の未来 私の視点        

 参議院での「安全保障関連法案」の審議が始まった。政府・与党は、衆議院での100時間を超える審議で国民の理解は、十分ではないにしてもかなり深まったとして、参議院の審議で一層の理解を得て法案を成立させたいとしている。しかし、私は、国民の理解を得ることは出来ないと思う。

 衆議院での議論を聞いていて感じたことは、11本もの法案を束ねた「安保法制」は極めて複雑な構成と関連をもっており、かつて安全保障問題をかなり勉強したつもりの私にもよく理解できない点が多々あるばかりか、防衛大卒の現職の防衛相さえ、答弁に詰まったり、答弁できないような代物だからである。これを一般の国民に理解せよというのは“木に縁って魚を求める”たぐいの話であり、安全保障問題が国民の命に直結するだけに、理解できなければ当然不安がつきまとう。

 「安保法制」がこのように複雑・難解になったのは、戦後自民党が初めはアメリカの要求にこたえ
るために、やがては 国軍創設の悲願を達成するために、憲法の抜け道を探しながら既成事実を積み上げてきた結果が、いまや現行憲法とは根本的に相容れない段階に達したにもかかわらず、それを屁理屈によって覆い隠そうとしているからである。

 このことは自民党自身が一番よく知っている筈だ。それにも拘わらずこのような「安保法制」を強引に押し通そうとしているのは、この法案の審議を通じて、国民に「国際情勢の急激な変化(中国の強大化)」を印象づけ、その中で「国を守る」には「日米の一体化」以外には方法が無いと思わせたいからだろう。その意味で、「集団的自衛権」の行使とTPP(環太平洋経済連携協定)は表裏一体のものだ
と思う。

 これら二つが成立すれば、自民党の次の目標が憲法改正であることは明らかだ。だから、「安保法制違憲論」は或る意味で、自民党・安倍政権の追い風になる。

 確かに、「安保法制」は穴だらけで、根本的に現行憲法と相いれないから、違憲論は国民多数の支持を受けやすい。しかし、だったら“ 憲法を改正しましょうよ”ということになった時、「安保法制」で
の現在の国会審議が生きてくる。「憲法護って国滅ぶ」「国防戸締り論」など、自民党が戦後一貫し
て唱えてきたスローガンに内容が備わるのだ。

 これによって、違憲派は、護憲論と改正論に分裂する。各種の世論調査を見ると、今のところ両勢力は互角のように見えるが、護憲派が「国を守るとは何か」まで踏み込んで「国を守る」理論と具体策を提示できなければ、やがて劣勢に陥るだろう。”護憲、護憲”と叫んでいるだけでは、旧社会党→現社会民主党の二の舞になってしまうだろう。自民党を中心とする勢力は、それを見越して、戦略的にことを進めているのだ。

そこで私は、新聞各社が、それぞれの総力を挙げて、それぞれの憲法草案を発表して欲しいと思う。
それができる力量は大手新聞社にしかないと思うし、そうする使命もあると考える。読売新聞と産経新聞は既に、それぞれの憲法改正案を発表しているので、それとは対極にあるという朝日、毎日、東京の各社なども手遅れにならないうちに、覚悟を決めてそれぞれの憲法草案を発表してもらいたいと思う。その際、特に安全保障については、アメリカとの関係にも踏み込んだ明快で曖昧さを残さぬ具体的な提案を望みたい。

  それらの憲法草案について私が判断する基準は「人権」がどのように保障されているかである。つまり、「人権大国への道」という第三の道を目指す決意があるかどうかだ。この点についてあいまいな表現は許されない。たとえば、自民党の憲法草案では、安全保障ついては明確に「国軍」の創設を謳っている一方で、民主主義の基盤である言論の自由など基本的人権については曖昧な表現に終始している。

 明治の欽定憲法にも言論の自由など人権を保障する条項はあった。しかし、”法律の許す範囲内で“という条件付きであったため、新聞紙法、出版法、国家総動員法などで検閲が強化され、”国家の安寧・秩序”優先という網がかぶされて、言論の自由は息の根を止められた。自由民主党の憲法草案にはいたるところに同じ発想が見られる。
 
  自民党の自主憲法草案には第21条で思想、表現、言論の自由を認めながら、現行憲法にはない次のような第2項を新設している。「前項の規定にかかわらず、公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは認められない」やがて、第2項に基づく法律を作られてしまえば、明治憲法となんら変わることはない。公益とは何かを誰が、どう判断するのか。 浜矩子同志社大学教授は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの「動物農場」を引いて次のように警告している。「人間の農場主を滅ぼして動物主権を打ち立てた動物農場には7カ条の”憲法があり、”いかなる動物も他の動物を殺してはならない”と書かれていた。ところが目立ちたがり屋で誇大妄想的なナポレオン豚が天下を取ると、”いかなる動物も、理由なく、他の動物を殺してはならない”と書き換えられてしまった。」 前回のブログで指摘したように、言論の自由と軍事優先は二律背反の関係にあることを忘れてはならないだろう。

 私は、首相公選論者なので、もともと改憲派である。安倍政権の暴走を見て、多くの国民が、自分たちの手の届かないところで決まるこの国の指導者が、自分たちの「いのち」を含めた運命を独善的にきめてしまう現在の統治機構の重大な欠陥に気付いたのではないか。このほかにも、現在の憲法には変えなければならない基本的な問題があると考えている。そういう意味で、これから何年かが、この国の未来を決める大事な年月になるだろうと思う。その際、戦争と敗戦の惨禍から私が学びとった視点が少しでも反映されるならば望外の幸せである。(M)

< おことわり > 

 視力が著しく落ち、資料を読み切ることが出来なくなりましたので、私の桐英会ブログへの投稿は、
 本稿をもって終わりとさせていただきます。長年のご愛読ありがとうございました。

        2015-8-1    松山 薫