Archive for 8月 26th, 2015

21世紀に入って、私たちを取り巻く環境は劇的に変化しました。2001年9月11日のアルカイダによる米国への同時多発テロは、その幕開けを象徴するような出来事でした。米国は直ちに見えない敵への反撃を開始しました。この出来事によって、ベルリンの壁が崩れた1989年以降の20世紀末の世界平和への期待が一挙に後退しました。そして前世紀に予感はされていたものの、それほど切実なものとは感じられていなかった大きな問題が次々に現れてきました。たとえば政治・経済・文化などあらゆる面でのグローバル化の進展、核兵器廃絶への果てしない闘争、地球環境をめぐる諸問題、少子化・高齢化社会への対応、雇用環境の変容と経済格差の再生産と固定化、コミュニケーション手段の目覚ましい発展による過剰な情報社会への対応、そして現在国会で議論され、世論を分裂させている安全保障に関する諸法案など。

私たちの関心事である英語の学びと教育も、そのような変化から無縁ではありません。無縁どころか、それら多くの問題と直接または間接に関連しています。たとえば、グローバル化に関連して、わが国の国際的な存在感が低下しているという指摘があり、その改善のためには国民の外国語(特に英語)の能力を高めることが緊急の課題の一つに挙げられるようになりました。そこで文科省は急遽「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」なるものを発表し、2020年の東京オリンピック開催の時期に合わせて小学校3年生から英語を導入し、5年生からはそれを「教科」とすることを宣言しました。前回にも触れましたが、これは近年における小学校教育課程の大変革であるにもかかわらず、驚くべきことに、文科省は中央教育審議会(中教審)の審議も経ずに実施に移そうとしています。

周知のように、わが国の教育の振興に関する基本的な総合計画は、文科省に設置されている中教審の答申を経て策定されています。現在は教育の振興に関する総合計画の第2期(2013~17年度)に当たりますが、その答申は「第2期教育振興基本計画」として2013年4月25日に提出(同年6月14日閣議決定)されました。この答申に書かれている教育の基本的方向性は、日本の英語教育政策の方向を定めるために重要な意味を持つものなので、学校教育関係者だけではなく、学校教育に関心のある人々(たとえば子どのも親や塾の教師たち)もその概要を承知しておく必要があります。それは、これからの21世紀を生き抜くために、国はどんな人間を育成しようとしているかを述べているからです。この中教審答申を手がかりにして、これからの英語の学びと教育の在り方を以下に考えてみましょう。

最初に、この答申は教育行政の4つの基本的方向性を設定しています。答申の概要を見ながら、それらを筆者なりにまとめると以下のようです。

(1)社会を生き抜く力の養成:21世紀の世界は多様であり、人々は変化の激しい社会に生きている。この中で各人が自立した個人として生きていくのは容易ではない。そういう状況の中で、生涯にわたる学習の基礎となる「自ら学び、考え、行動する力」を確実に育てることが重要である。(2)未来への飛躍を実現する人材の養成:変化の激しい社会を生き抜くためには、ただ伝統を重んじるだけではなく、変化に対応する新たな価値を生み出す創造性が求められる。そのためには社会の各分野を牽引していくチャレンジ精神旺盛なリーダーを養成する必要がある。同時にリーダーだけではなく、新しい事態に対応できる多数の人材を育てることが重要である。(3)学びのセーフティネットの構築:変化の激しい社会を生き抜くための教育は、誰もがアクセスできる多様な学びの機会が用意されなければならない。そのためには、教育費を大幅に軽減し、貧富の差による不平等が生じないようにする必要がある。この目的を達成するには国の教育予算を拡大することが必須である。(4)絆づくりと活力あるコミュニティーの形成:学びは個人だけで行うものではない。学びを通じて多様な人々が集まり、協働するための体制が作られる必要がある。そうすることによって、社会が人を育み、人が社会をつくるという好ましい循環が作られるのである。

これに続く文科省の説明は、以上の4つの基本的方向性の中から、とくに自立・創造・協働という3つのキーワードを抜き出し、それらを生涯学習モデルの中心に置いて、在るべき姿の教育を実現していくと述べています(注)。ただしこれは、中教審において議論された事柄を文科省の担当官がまとめたものですから、具体性に欠けています。しかし常識的にみて、自立・創造・協働というキャッチフレーズに特に異議をとなえる人は少ないでしょう。大切なことは、学習者である子どもたち、その親たち、および教育現場で子どもたちとじかに接触している学校や塾の教師たちが、これら3つのキーワードを、どのように捉えていくかということです。

そのことを以下に取り上げて議論したいと考えていますが、まずこれら3つのキーワードの意味するところを、中教審答申の概要を参照しながら、簡潔にまとめておきます。次回からは、それぞれの項目について、もっと具体的に考察を進めたいと考えています。

「自立」について:一人一人が自己実現に向かって、その持っている多様な個性や能力を伸ばし、充実した人生を主体的に切り開いていくことのできるような生涯学習社会の実現を目指す。

「創造」について:自立と協働を通じて、新たな価値を創造していくことのできる生涯学習社会の実現を目指す。

「協働」について:個人や社会の多様性を尊重し、それぞれが持っている個性を生かして、ともに支え合い、高め合い、社会の活動に積極的に参加し貢献することのできる生涯学習社会の実現を目指す。

(注)ここに述べる「教育行政の4つの基本的方向性」のうち、(1)と(2)および(4)の内容については、それぞれ「自立」、「創造」、「協働」の3つのキーワードによって代表されていると考えられます。しかし(3)の「学びのセーフティネットの構築」で述べている財政問題については、キーワードから除外されています。言うまでもなく財政は教育行政の中心的課題であり、これがなくては諸計画を推進することができません。しかし中教審の審議の中で教育財政の問題が深く議論された形跡はなく、それは時の政府の政治判断に委ねられているようです。なぜ中教審と文科省はこの問題を正面から取り上げ、広く国民に訴える努力をしないのか。この点で筆者はこの答申に大きな不満を感じます。