Archive for 12月 15th, 2015

最近の英語教育についての議論でしばしば登場する言葉に「コミュニケーション能力を総合的に育成する」というのがあります。これは最近改訂された学習指導要領で述べられている文言なのですが(注1)、これはよく考えるとなかなか難しい問題を含んでいるように思われます。「総合的」とはどういうことか、それは従来から言われてきた「四技能の調和的発達」とどう違うのか、中学や高校の基礎的学習段階で四技能を総合的に指導することがどこまで可能なのか、など。今回は言語技能の中核をなす四技能の発達について、次回はそれらの技能の統合について考えてみます。

まず私たちが「英語を学ぶ」というときには、通常は「聞く・話す・読む・書く」の四つの技能を身につけることを言います。ですから「あの人は英語ができる」というとき、多くの人が思い浮かべるのは、その人が英語を聴いて理解することができるだけでなく、それを話したり読んだり、そしてたぶん、書いたりできる人だと理解します。しかしこれら四技能に習熟するには相当の時間を要しますから、英語を学ぶ過程では、それらの技能の達成度にさまざまな凸凹が生じます。最初からこれら四技能を平等に発達させるというのは現実的ではありませんし、実際には不可能です。

まず子どもの母語習得を見でみましょう。子どもの言語発達の自然な順序は、まず聴くことに集中し(子どもが言葉らしいものを発するまでに誕生後半年から1年を要します)、次に聴いて話すことに集中します。しかし読み書きは自然には覚えられません。文字の多くは抽象的な記号なので、音と文字を結びつけることが難しいのです。日本でも明治期に国民教育制度が確立するまでは、「文盲」(illiterate)と呼ばれた人がかなりいました。書き言葉の文化が発達した今日ではそういう国民はほぼ皆無となりましたが、多くの場合、読み書きは学校教育の役目です。一般に、子どもたちは幼稚園や小学校に入って読み書きを教わります。そして第2言語や外国語におていても、多くの専門家はこの「聴く→話す→読む→書く」の習得順序が最も自然であると考えています。わが国では2011年度から小学校の教育課程に「外国語活動」の授業が設けられ、英語が教えられるようになりましたが、そこでも「聞くこと・話すこと」の活動を重視し、文字を扱うことは最小限に抑えられています。

では中学・高校では四技能はどのように発達するでしょうか。中学校に入学すると、多くの場合、生徒は小学校で軽く触れた英語のアルファベットの文字を改めて学び直し、少しずつ語句や文章を読めるようにし、1学期の終わりにはなんとか書き写すことができるところまで行きます。そこでたいてい夏休みになりますので、休み中にアルファベットが完全に書けるように宿題が出され、2学期からは教科書に載っている文章を読んだり書いたりすることができるようになります。その読み書きの基本は中学1年生の修了時までに終えることが望ましいのですが、適切な指導がなされないと、何パーセントかの生徒が落ちこぼれます。ここで落ちこぼれると2年次以降の授業についていけなくなり、深刻な事態が生じます。そこで、いかに落ちこぼれをゼロにするかの研究が古くからなされており、ここでの落ちこぼれをいかに防ぐかは、今や中学校第1学年担当教師の責任とみなされています。少しきつい言い方かもしれませんが、ここで落ちこぼれを見逃すような教師は、英語指導者としての資格を問われることを覚悟すべきです。

中学1年生の英語を無事に乗り切り、英語の読み書きに慣れることのできた生徒は、理論上は2年次以降の授業についていけないということはほとんどなくなるはずです。しかし学びが進むとテキストの分量が増し、新しい語彙が増え、文章の形態や内容が高度になりますので、生徒は油断するとたちまち落ちこぼれます。指導する教師はそのことに気を配り、常に生徒をよく見て、彼らの意欲をかき立てるような授業を心掛けなければなりません。その場合に注意することの一つに、四技能の配分ということがあります。高校入試などの筆記試験では「読むこと」に比重がかかので、その対策のために読解に力がはいり、生徒が英語を話したり書いたりする機会が少なくなりがちです。特に受験期が近づく頃には、生徒が授業で声を出すことが少なくなります。そうなるともう英語の授業とは言えません。英語の四技能の基本は、教師による適切な指導と生徒の真摯な学びがあれば、中学校修了時までにほぼ固まるはずで、あとは言語使用の拡張と習熟が必要なだけです。

しかし実態は必ずしもそうではありません。生徒の多くが高校入学直後に躓くのです。その原因の一つは中学での英語の学びが不充分で、四技能の基礎ができていないことにあります。これらの生徒は、高校入学後に中学英語の再学習が必要です。もう一つの原因は高校の英語カリキュラムの複雑さにあります。以前は高校の英語科目が「英語Ⅰ、Ⅱ」、「オーラル・コミュニケーションⅠ、Ⅱ」、「リーディング」、「ライティング」の6科目にも分かれており、教科書も教える教師も違っていて、英語技能が「聴く・話す」、「読む」、「書く」などに分割して指導されるようになっていました。これは高校に入学した生徒にとって大変な負担でした。事実ここで多くの生徒が落ちこぼれることは、最近の実態調査が示しています(注2)。2009年3月の高校学習指導の改訂によって、これらの科目が整理され、「コミュニケーション英語Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」および「英語表現Ⅰ、Ⅱ」と単純化されました。この改訂によって、英語の四技能を統合的に指導することが可能になりました。これは今後の高校英語教育の改善につながると期待されます。

こうして高校での学びを終えた人たちの約半数は大学に進学し、その後も英語の学びを続けるわけですが、これまでの大学卒業者の四技能の習熟度はさまざまで、一般に期待されている達成度に達する者は極めて稀です。かなりよく努力した人でも、多くが「読むこと」についてはいくらか自信があるけれども「聴く・話す」は全く駄目だと言います。それはひとえに学校教育の責任だと言う人が多いようですが、必ずしもそうとは言えないと筆者は考えています。なぜなら、日本で生活している限り、英語を実際にコミュニケーションの手段として使用する経験を積むことが難しいからです。言語使用の経験不足なのです。その困難を克服する確実な方法は、英語母語話者と生活を共にすることです。それには英語を常時使って生活する国に留学をするか、日本にやって来る留学生などの英語話者と生活を共にするか、どちらかです。しかし国がすべての日本人にそれらの方策を奨めるわけにはいきません。いずれも万人のできることではないからです。そこでどうするか。学習指導要領の言う「コミュニケーション能力を総合的に育成する」などの授業改善の奨めは、そのような背景から生れてきたものです。はたしてそれはうまく機能するでしょうか。(次回に続く)

(注1)前回改訂された中学校および高等学校の学習指導要領(中学2008年3月改訂;高校2009年3月改訂)の中に、次のように「総合的」という文言がいくつか使用されています(下線は筆者)。

中学校:「教材は、聞くこと、話すこと、読むこと、書くことなどのコミュニケーション能力を総合的に育成するため、実際の言語の使用場面や言語の働きに充分配慮したものを取り上げるものとする。以下略」(3.指導計画の作成と内容の取扱い)

高等学校:「中学校におけるコミュニケーション能力の基礎を養うための総合的な指導を踏まえ、聞いたことや読んだことを踏まえた上で話したり書いたりする言語活動を適切に取り入れながら、四つの領域の言語活動を有機的に関連付けつつ総合的に指導するものとする。」(「コミュニケーション英語Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」3.内容の取扱い)

(注2先般(本年3月)公表された高校3年生の英語学力調査の結果がこのことを示しています。文科省は昨年、高校3年生約7万人を対象として、その英語力を四技能別に測定する抽出調査を実施ました。その結果は、高校3年生で中学生またはそれ以下の英語力しかない生徒が約80%に及びました。技能別では「読む」72.7%、「聞く」75.9%、「書く」86.5%、「話す」87.2%でした。つまり、高校1年生までに落ちこぼれる者が約80%いることが明らかになったのです。(詳しくは、桐英会ブログ2015年6月19日掲載の筆者の投稿『<番外>文科省の「英語力向上プラン」:危険な机上のプラン』をご覧ください。)