Archive for 9月 10th, 2010

小澤一郎論

Author: 松山 薫

小澤一郎論 (敬称略)          松山 薫

今回の民主党代表選での私に選択肢は、小澤一郎です。理由は、政治家は、政策と実行力(結果)で選択すべきであると思うからです。実行力は総理大臣になってからの話ですから、彼の政策についての私の考えを述べます。
小澤一郎には会ったことはありませんが、彼の父親の佐重喜は、初代の郵政大臣であったので、NHK国際放送の歴史を調べている時に一度話を聞いたことがあります。なんとなく土の匂いのする政治家でした。これは田中角栄にも共通する点で、小澤一郎が彼をmentorとした気持ちが分かるような気がします。角栄も佐重喜も雪ぶかい北国の貧農の出身で、エリート的な学歴がありません。こういう政治家が権力闘争の中でのし上がっていくための資金集めは、世襲議員や官僚、財界や労働組合を含む利益団体の出身者と異なり、閨閥や学閥、団体などへの人脈がないため、いきおい公共事業頼みになります。自民党政権時代に建設部会の会長になった議員が「これでウン百億円がオレのものだ」と叫ぶのを聞きました。55年体制の中で、既得権益に群がったのは、田中角栄や小澤一郎のみならず、ほとんど全ての政治家だといって過言ではないと思います。角栄が造船疑獄で落選し、再起を期していた頃、私は彼のいた新潟3区に住んでいましたので、立会演説会で何回か選挙演説を聴きました。角栄が登壇すると聴衆から“カネを撒け!”と言う野次が飛ぶのです。角栄は少しも悪びれず“カネは必ずこの故郷へもって帰ります。だから、国会へ送ってください”と絶叫しました。東京で生まれ育ち、雪国で6年間暮らした私にはなんとなく角栄の気持ちがわかるような気がするのです。小澤一郎もきっとそういう気持ちを持っていると思いますし、地方主権の政策もその出自と無関係ではないでしょう。外交政策では、対米従属からの脱却、徹底したアジア重視を唱えており、これも私の考え方と一致します。彼がワシントンでアメリカ政府と建設交渉で渡り合った際の頑張りは、それを象徴しているように感じました。tough negotiatorぶりを伝えるワシントン発の外電を読みながら、いつもとは一寸様子が違う交渉にアメリカ側が戸惑っている様子がうかがえました。安全保障政策では、国連重視が目立ちます。“アメリカのポチ”と言われる現状を変えようとすれば、それは当然の論理的帰結です。私は40年来の自衛隊国連軍化論者ですが、小澤の論理を突き詰めていくと、そこに近づくのではないかと期待しているわけです。国連軍化を政策として唱えたのは旧社会党右派の石橋政嗣で、ついで、細川護煕が日本新党の創設マニフェストで取り上げました。小澤は細川と組んで新進党を創るときに、安全保障政策についても話し合っているはずです。政界はやがて、安全保障政策をめぐって再編されるでしょうから、その時小澤がどう動くかが見ものです。もうひとつの見ものは、小澤が総理大臣になった場合、来年の原爆の日に核兵器廃絶についてどんな見解を述べるかです。アメリカの核の傘の下で核廃絶を唱えるという全く説得力のない日本の立場を、核の国際管理論者である小澤がどう説明するのか楽しみにしています。
小澤一郎は憲法改正論者ですが、すでに70歳近く、現在の政治状況の中で、この主張を正面から持ち出す政治判断はしないはずですから、その点については不問に付しましょう。もっとも、彼は国連憲章47条による本格的国連軍(これまでの国連軍とは異なる)に自衛隊を待機軍として派遣することは、現行憲法でも可能だといっているので、先ずはそういう方向へ踏み出すのではないかと思います。
先日新聞の投書欄に民主党代表選をめぐって、「無能な白より、有能な灰色を」という意見が出て、その後「有能な白こそ政治の原点」という反論が掲載されました。マキャベリズムが支配する権力闘争の場である政治の世界でそれはありえないでしょう。権力を得なければ政策は実行できません。権力闘争こそが政治の原点です。そのために政治家は文字どうり命がけで闘わなければならず、真っ白でいられるわけはありません。問題はそうして得た権力を何のために使うかです。かつて田中角栄は「政治家はせめて51%は、国のことを考えてくれ」と嘆きましたが、55年体制の下での実情がそれ以下であったことを物語っています。政権交代によって、それがどれだけ変わるのか。せめて黒が灰色になるよう願っています。(M)