Archive for 11月 14th, 2011

「スポーツ放送」で気になること
(1)スポーツの実況放送はラジオだけの時代から批判があったと思います。多かったのは、「解説者がしゃべり過ぎる」というものでした。テレビ中継の時代になってもこういう批判は残っています。例えば、ゴルフの場合では、デジタル化のお陰で画面に様々な情報を書き込むことが出来ます。風の方角とか強さとか、選手が打った球の方角、距離など情報も実に多様化しています。

(2)実況放送のアナウンサーや解説者はそういう情報について長々としゃべる場合があります。ゴルフの“エチケット”として、選手が打つ構えに入ったら、周囲の人たちは沈黙をすべきなのです。また、選手経験者などが現場の中継者として選手の近く、または打った球のそばから放送しますが、当然のことながら声をひそめて話します。とにかく行き過ぎのないように配慮すべきです。

(3)テレビカメラが人気のある選手(例えば石川遼君)ばかり追いかけるのも上位の選手たちに失礼です。最終日でもないのに、20位の石川遼君が上位の選手よりもはるかに画面に出る回数が多いのです。テレビ局ば、「視聴者が望むから」と弁解するのでしょうが、もっと独自性のある画面で視聴者を引き付けることを考えないとテレビの将来は危ないと思います。

(4)フィギュアスケートの場合は、特殊な技術や採点の方法など多く視聴者には馴染みがないので、解説は必要かも知れません。しかし、のべつしゃべられると、肝心の音楽がとても聞きにくくなるのです。選手の練習時間などに手短に解説を入れるような工夫をしたらどうでしょうか。11月13日の夜は NHK がエクジビションを放映していましたが、ゆっくりと鑑賞できました。

(5)今年のプロ野球日本一は、中日ドラゴンズとソフトバンクとの間で争われていますが、緊迫した好ゲームを展開しています。その雰囲気をぶち壊したのが読売巨人軍の内輪もめです。11月11日に清武英利球団代表が突然記者会見で、渡邊恒雄球団会長を“コンプライアンス違反”“球団を私物化”と批判したのです。“なべつね”さんの横暴ぶりは今に始まったことではありませんが、今回はコーチの人事に口出しをしたことで非難されたのです。負けて内輪もめになるのは球団が弱い証拠でしょう。

(6)野球は応援も一番下品です。騒音のような応援ですから、午後10時過ぎには自粛することになっていますが、もっと拍手をするような応援に切り替えたらどうでしょうか。日本人は日常生活でも音について無関心過ぎます。そのくせ音が原因で殺人騒ぎまで起こります。日本人の心のバランスが壊れているのではないかと心配です。(この回終り)

学習意欲の心理学(3)

Author: 土屋澄男

英語基礎レベルの習得に必要な2,400時間のうち、学校の英語授業では900~1,000時間しかカバーできないとすると、残りの1,400~1,500時間をどのようにして埋めたらよいでしょうか。今これを生徒自身の自主学習によって埋めるとしましょう。今年から全国の小学校でも英語が教えられるようになりましたが、それは教科としてではなく、「外国語活動」の中の一つの活動として取り入れられることになっていますので、小学生に英語の自主学習を期待することはできないでしょう。すると、中学・高校の6年間に1,400時間以上の自主学習を期待することになります。6年間の授業時間が900~1,000ならば、生徒はその150%に当たる1,350~1,500時間の自主学習を確保する必要があります。そうすると計算上は授業の不足分をカバーできることになります。つまり、中学生・高校生は、学校で1時間の授業(実質は50分)を受けると、少なくとも90分の自習(予習・復習など)が義務づけられることになります。これは実際に可能でしょうか。

 ここで「義務づけられる」という表現に注意してください。生徒の自主性を尊重して、「学校の1時間の授業につき、かならず90分の予習と復習をしなさい」などとしつこく言う先生は多いのですが、そう言われて忠実に実行する生徒はほとんどいません。いたとしても、多くの生徒は持続しません。先生はそれで指導したつもりでいるのかもしれませんが、それは指導とは言えません。生徒はそれを自分の問題として真剣には受け止めていないからです。筆者の知っている中学校の先生の中に、「学習ノート」を生徒に作らせ、家庭での自主学習を記録することを義務づけている方がいます。こういう先生は他にもたくさんおられると思いますが、中学生にはこれは重要なことです。近年の動機づけ(motivation)の研究は自発的または内発的な動機づけを重視する傾向がありますが、特に英語学習の初期においては、すべてを生徒の自主性に任せるのは無謀です。1時間の授業に対して90分の自主学習をしなさいと言われても、生徒は何をしてよいか分からないのです。さらに、自主学習の意味をよく理解していないので、数回やってあまり効果がないと思うと、そこで止めてしまうわけです。ですからほとんど三日坊主で終わることになります。

 そこで研究者の言う外発的動機づけに注目しなければなりません。それは報酬や罰のような、外からの影響力によって学習に向かわせることです。人は褒められるとやる気を出します。叱られるとやる気をなくします。叱られてかえってやる気を出すこともあります。20世紀前半に優位を占めていた行動主義心理学の学習理論では、そのような賞罰の与え方によって学習のメカニズムを説明しようとしました。そこでは人間よりも動物のほうがデータを取りやすかったので、しきりに動物実験が行なわれました。どのような条件にすれば学習が起こりやすいか、また一度起こった学習が定着しやすいか、などの研究が盛んに行なわれました。そしてその結果を人間にも当てはめることができると考えました。しかし人間は動物とは違って、そのまま当てはまらない場合があります。20世紀半ばから優勢になった認知心理学の理論では、行動主義心理学の反動として外発的動機づけの価値が著しく低下し、自発的・内発的動機づけが重視されるようになりました。しかし真実はそのいずれにもあります。子どもが学習に向かうきっかけは、内発的動機づけだけではなく、外発的動機づけにもあります。褒められたことがきっかけになり、また叱られたことがきっかけになって学習が始まり、それが繰り返されている間に、子どもはその学習内容に興味を感じ、しだいに深く理解するようになり、やがてそれを愛するようになる、というケースが多いのです。英語学習も、特に初期の段階においては、外発的動機づけをもっと尊重しなければならないというのが筆者の考えです。

 そうだとすれば、英語学習初期の段階(特に中学校)でたまたまそういう指導をする先生に出合った生徒は、学校の授業だけで満足することなく、1回の授業に対して1時間から2時間の自主学習を開始し、その重要性を認識し、学習法を会得し、それを継続することに喜びを感じるようになるでしょう。先生は時々生徒たちの英語ノートを点検してアドバイスを与えてくれます。それが生徒にとって励みになります。そういう雰囲気のクラスでは、生徒どうしも各自のノートを見せ合って励まし合うということが自然に行なわれるでしょう。こうして英語学習の動機づけが、外発的なものから内発的なものへと自然に発展します。そういうクラスで英語を学ぶことのできる生徒は幸いです。しかし、不幸にしてそういうクラスに出合わなかった生徒は——そういうケースが非常に多いように思われます——どうしたらよいでしょうか。そのことを次回に述べます。(To be continued.)