Archive for 12月 8th, 2012

(120)<総選挙の争点-3> 松山薫

⑤ 教育改革

 今日は、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦の日である。当時私は小学校の6年生であったが、その後の旧制中学での愛国教育で完全な軍国少年に仕立て上げられた。間違った教育の恐ろしさを身に沁みて感ずる。

 今回の総選挙では教育が争点のひとつに挙げられているが、目玉は教育委員会制度の改革である。教育委員会制度は、戦前・戦中の軍国主義教育に文部省を頂点とするヒエラルキーが
果たした役割への反省から、アメリカのlayman control (政治や行政の一部を市民にゆだねる方式)にならってできたもので、占領軍はこれによって”草の根軍国主義“を絶つことを考えたらしい。したがって初めは教育委員は公選制であったが、いわゆる(戦前への)“逆コース”の時代に、2重行政になるという理由で、首長の任命制にかえられた。ただ、政治による教育への直接介入を防ぐため教員の任免権、教育予算の編成権、公立小・中学校教科書の選択権などは教育委員会に残された。その後予算権はなくなり、実質的に首長の支配が強まった。選挙公約で、日本維新の会は教育委員会の廃止、自民党と民主党は見直しを主張、みんなの党は存否は自治体にまかせるとしている。 
  
 社会を変える力。それは短期的には政治であり長期的には教育である。また、政治は教育を変える力があるし、教育は政治を変える力がある。このような力関係の中で、政治は常に教育に介入し、自らの力を拡大し、維持しようとする。

 自民党の安倍総裁は、街頭演説で、民主党が選挙の争点として教育問題を取り上げないのは、幹事長が日教組出身だからだと叫んでいる。自民党の日教組攻撃は、敗戦直後、私が教師であった頃から始まった。当時、参議院選挙の全国区は日本全国が1選挙区であったから、50万人の組合員を擁する日教組の組織内候補者や推薦候補者は社会党或いは共産党所属でほとんど全員が当選した。一党支配を確立した自民党としては、まさに目の上のたんこぶのような存在であったろう。自民党は、教員の政治活動禁止法、さらに勤務評定制定と日教組弾圧をエスカレートさせた。教育委員会公選制の廃止も同じ文脈の中で強行された。私が内部から見たところでは、当時の小・中・高校の教師には、土着の人が多く、思想傾向はむしろ保守的だった。それでも社会党候補に投票したのは、戦争中の軍国教育への反省と「教え子を再び戦場へ送るな」という社会党のスローガンに共鳴したからだったろう。自民党はそれを、日教組は赤い頭の丹頂鶴の一握りの指導部に牛耳られていると攻撃したが、まさに、教師を自主性のない操り人形として愚弄するものであった。今なお、自民党や維新の会は同じ愚行を繰り返している。維新の会の教育バウチャー制度についての反対意見は、ジャンジャック・ルソーやペスタロッチの考えをひいて、先にこのブログで述べた。(アーカイブ2011年7月教育の理想と現実)。教師の資質や教育の成果は単純な物差しで計ることはできないし、長い年月を経てあらわれてくることは、「二十四の瞳」や「北のカナリア」アメリカ映画「陽のあたる教室」を見ても分るだろう。

 元リクルートの社員で東京都の公立校で最初の民間人校長になったという人物は、先日NHKのTVに出演した際、司会者や出演者のタレントに「あんた民間人校長になったらどうですか」と呼びかけた。本人は冗談のつもりかもしれないが、これは見過ごすことの出来ない発言だ。校長というのは誰にでもできるような仕事なのか。その校長の下で働く教師とは、そんなに軽い職業なのか。彼らは教育や教師の仕事について、根本的に思い違いをしている。

 私は4人の校長のもとで働いたが、私にとっての校長は、初めて教師として赴任した栃尾高校の菊池政次先生しかいない。菊池先生のことは、先にこのブログに“教育者”のタイトルで書いたことがあるが(アーカイブ2011年2月)、もう一度ここに書き残しておきたい。菊池先生は、東京高師、文理大で東洋史を学び、やがて陸軍士官学校の教官になった。敗戦後は奥さんの郷里である長岡に隠棲していたが、長岡高校の要請もだしがたく、再び教壇に立ち、間もなく栃尾高校の校長として赴任した。私が出合って3年目に新発田高校の校長に転任することになったが、その送別会の席上、私は日頃胸にしまっていた疑問を思い切って切り出した。「何故再び教師になったのですか」という質問に、菊池先生は私が酒を注いだ杯を置き、「君が考えているほど立派なことじゃないよ。しいて言えば、食うためかな。」と答え、「もっとも、食うために働くというのも立派なことだと思うが」と付け加えた。私はさらに「食うために教師をやっていれば一人前の教師になれるのですか。よい教師になるには何かが必要なんじゃないですか」とたたみかけた。「生徒を大切に思うことかな」と答えた菊池校長は「もっとも、私にはそんなことを言う資格はないが」と付け加え、杯を飲み干した。その時私はずっと心のうちにあった憶測が確信にかわった。菊池先生は多くの有為な若者を戦場へ送った自らの過去を悔い、教え子を再び戦場へ送る動きへの防波堤になるために再び教壇に立ち校長になったのだ。

菊池校長が新発田高校へ赴任して間もなくある事件が起き、地元の新聞にも報じられた。秋の体育祭が終った後、恒例の焚き火が始まり、父兄や同窓会のメンバーに交じって生徒が酒
を飲み始めたらしい。菊池校長がこれを止めようとしたところ、同窓会員らに担ぎ上げられ、近くの田んぼに放り込まれたというのだ。菊池校長は県教委に呼び出され、同窓会と和解するよう求められたが、断じて応じなかったという。後に、事の真偽を菊池校長に訊ねた時には、笑って答えなかったが、私は「生徒を大切に思う」という信念を貫いたのだと思っている。

 私は、自民党や日本維新の会とは別の観点から、現在の教育委員会には大きな問題があると
考えている。それは実質的に教育委員会を牛耳っている教育長以下の事務局の学閥支配である。

 これについては、先にこのブログで自分の体験に触れ、先年明らかになった大分県教委における汚職事件の報道で、校長の選任などで、同じ様なことが今もなお連綿と続いていることを知った(アーカイブ2011年4月)。メディアが情報公開法に基づいて、各県や主要都市の教育委員会事務局の主要職員の学歴と職歴を調べて公表してもらいたいと思う。このような調査報道を続けることで教育委員会の浄化や首長・議会との癒着の根が絶やされることを望みたい。
私は、現在の教育の疲弊をもたらした諸悪の根源は、職員会議の形骸化であると思っている。職員会議こそが学校の民主化の基盤であると考えているからである。職員会議での徹底した論議によって、生徒を大切にする教育の姿や具体策が見えてくるであろうし、無能な校長は淘汰され、将来の校長や教育長にふさわしい人材もおのずから明らかになってくるだろう。

 われわれ世代の多くは、敗戦で価値観の180度転換に直面し、教師を信じられなくなって、自分で生きていく道を探さねばならなかった。それゆえに長い道のりとなったが何とか自分で新しい価値観を身につけることが出来た。軍国主義一色に染まった当時の教師達のことを考えると、教師が自分の頭で考え、自分の信念を持とうと努力するのでなければ、生徒は不幸なことになる。自分の頭で考え、行動する人間が生まれるわけはないからだ。職員会議の活性化によって自ら考え、行動する教師が生まれ、それを校長がまとめ上げていわば校風を作り出す。そのような学校を地域の人達がlayman controlの教育委員会を中心に包み込む。このような教育活動に国が十分な予算措置でバックアップする。それには根本的な教育改革、その前に政治改革が必要だが、私の理想とする教育体制が何時の日かこの国に生まれることを願っている。(M)