Archive for 3月 9th, 2013

(133) 北の核—2

② 核兵器開発の歴史—② 核爆弾

  核兵器とは、原子核の反応を応用した核爆弾とその運搬手段(delivery vehicle)とを結合したもので、核反応には、核分裂(nuclear fission)と核融合(nuclear fusion)がある。核分裂を利用したものが原子爆弾(atomic bomb, A-bomb)、核融合を応用したものが水素爆弾(hydrogen bomb, H-bomb)である。

 物質を構成する原子は、陽子と中性子からなる1個の原子核とそれを取り巻く電子でできているが、この原子核が割れるのではないかという仮説を思いついたのは、ユダヤ人の科学者らで、第2次世界大戦が始まる前年の1938年の暮れのことだった。この仮説は翌年物理実験で確かめられ、その際膨大なエネルギーが出るものと推計された。これを知って、爆弾に応用できるかもしれないと考えた科学者の中にオッペンハイマーがいた。ただ、爆弾に応用するには、分裂を連続的におこす連鎖反応(chain reaction)が必要で、原子核が分裂しやすいウラン235が適合した。しかし、ウラン235は天然ウラン鉱にはわずか0.7%しか含まれていない。爆弾にするにはウラン鉱石からウラン235だけを取り出して純度を80%以上に高める濃縮(enrichment, enriched uranium)が必要になる。アメリカ政府はオークリッジに巨大な濃縮工場を建設し、濃縮ウランの製造にとりかかった。同時に、ウラン235の濃縮が難しい作業であることを見越して、黒鉛の原子炉でウラン鉱の大部分を占めるウラン238から核分裂物質プルトニウムをつくり出す工場をワシントン州ハンフォードに建設した。

 一方、オッペンハイマーを所長とするロスアラモス研究所では、多数の科学者や技術者達が、ウラン235をどの程度の量集めれば連鎖反応が起きる量、つまり臨界量(critical mass,
criticality)に達するかについての研究や、臨界量のウラン235を爆発しないよう二つに分け、急激に合体させて爆発を起こす装置、つまり、引き金についての研究などに当たった。

 その間、 ロスアラモス研究所では、ハンガリー生まれの亡命ユダヤ人物理学者エドワード・テラーらが、ウラニウムやプルトニウム爆弾より安上がりで、爆発力の大きい水素爆弾の製造を推奨した。水素爆弾は、二つの重水素を融合させ、その際発生するエネルギーを利用するもので、引き金には原子爆弾を使用する。原子爆弾の周りを重水素で包み、核分裂による超高温と高圧力を発生させて核融合を引き起こすのである。重水素の量を増やせば爆弾の威力はどんどん大きくなる。

 廣島、長崎への原子爆弾投下で第2次世界大戦が終わり、アメリカとソビエトの冷戦が始まった。ロスアラモス研究所には共産主義に共鳴する科学者がおり、ソビエトに原爆についての情報を流していた。ソビエトはこれによって原爆の製造を急ぎ、1949年にほぼ nominal bombに近い威力の原爆実験を行なった。これに対抗して、アメリカは、水爆の開発を急ぎ、1952年に世界初の水素爆弾の実験を実施した。翌年ソビエトがこれに続き、果てしない核軍拡競争がはじまった。

 水爆=熱核爆弾の威力(yield)は原爆に比べて桁違いに大きく、米ソとも最初の実験は10メガトンであった。( nominal bombの約500発分、TNK火薬1トン爆弾100万発分)。
中部太平洋のエニウェトク環礁で行なわれた世界最初の核実験に立ち会い、島が丸ごと吹き飛ばされるすさまじい光景を目の当たりにした科学者の一人は、「人類は二度と水素爆弾を使わぬことを誓うべきだ」と語っている。

 これまで実施された水爆実験で最大のものはソビエトの50メガトンで、威力はnominal bombの約3000発分、第2次世界大戦で使用された爆薬の10倍にのぼる。核爆弾の威力は勿論爆発力だけではない。熱線や爆風、放射線によって甚大な被害を与える。アメリカが開発した中性子爆弾(Neutron bomb)は、水爆を使った熱核爆弾の一種で、爆発力を極小に抑え、大量の中性子を発生させて、人間(生物)だけを死滅させる。

 核爆弾が、核融合爆弾(熱核爆弾)の時代の入り、人類共滅の危機が現実のものとして認識されるようになった。太平洋戦争が終わって70年近く、多くの人々が戦争の悲惨さを忘れようとしている。今でも時々、太平洋戦争で米軍が使用した1トン爆弾の不発弾が全国各地で発見され、爆発処理のため、周辺住民が避難させられる。一発の水爆の威力が、その百万発分+何十年あるいは何百年も消えることのない放射能汚染であることを忘れてはならないだろう。(M)