Archive for 3月 23rd, 2013

(135)<北の核ー4>

Author: 松山 薫

(135)北の核—4

< 核拡散とダブルスタンダード >

 1945年にアメリカが原爆を保有してからこれまでの70年足らずの間に、核兵器保有国( nuclear powers, nuclear haves ) は、国連常任理事国の米、英、仏、露、中の五ヵ国と、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮の4カ国、合計9カ国に増えたとみられている。このうち水爆を保有しているのは、国連常任理事国の5カ国である。このように核兵器が拡散していく中で、大国のエゴとダブルスタンダードが顕著に見られた。

 最初の核兵器保有国となったアメリカは戦後間もなく、バルーク案という核兵器の国際管理案を提案した。しかし、これは事実上ソビエトの核保有を封じ、アメリカの核の独占を図るものであったから、ソビエトはこれを一蹴して4年後の1949年に核保有国になった。これに対抗するため、アメリカは、イギリスの核兵器開発を援助し、イギリスはソビエトに3年遅れて1952年独自の核兵力を持った。それから8年後、ヨーロッパにおける米英の影響力の拡大に対抗してフランスのドゴールは、独自の技術で1960年、核戦力( force de frappe )を創設し、米ソの核戦争に巻き込まれるのを嫌ってNATO軍の統合司令部から離脱した。

 一方、欧米勢力による核兵器の独占に反撥した中国は、軍事同盟を結んでいたソビエトからの援助で核兵器の開発を急いだ。ソビエトとしては、中国に核兵器を持たせることで、アメリ
カに2正面作戦を強いる思惑があった。しかし、国境紛争で中国と対立したソビエトは、突然核兵器の技術援助を打ち切り、この時毛沢東は、「中国人民はパンツをはかなくても原爆を持つ」(パンツは誤訳でズボン)と叫んだと伝えられる。そして中国は1964年原爆を、1967年には水爆を持った。

 このような核拡散の歴史を見ると、5大国は自衛のためという国益を口実に、核兵器を覇権を求め、勢力を維持、拡大する道具として使ったことは明らかである。これで、他の国(non-nuclear nations, nuclear have-nots)に核兵器を持つなと強制しても説得力はない。このような5大国のエゴは、1968年、つまり、5大国全てに核兵器が行き渡ったあとで、核拡散防止条約( the Nuclear Non Proliferation Treaty = NPT)を締結することで、よりあらわになり、NPTは、5大国の特権的地位を半永久的に認める典型的な不平等条約であるとされた。このため5大国は、条約の中で、“誠実に”核軍縮につとめることを約束したのだが、その後核廃絶に向かって努力したとは到底思えないのが現実である。

 中国との国境戦争に惨敗したインド、インドとの間にカシミール紛争を抱え3回戦火を交えたパキスタン、アラブ諸国に包囲されているスラエルはNPTに加盟せず、やがて核兵器を保有することになった。また、北朝鮮は2003年にNPTを離脱し、2006年には最初の核実験を実施した。この間、アメリカはNPTに加盟していないインドに対し、特例を設けて、核燃料を輸出している。また、イスラエルの核兵器製造にはフランスが秘密裏に、全面的に協力した。これに対して、アメリカは、アメリカにおけるユダヤ人社会の影響力に配慮して、曖昧な態度をとった。イスラエルもアメリカを刺激しないよう核兵器の保有を明言しない政策を採っているが、すでに200発前後の核兵器を持っているといわれる。こういう状況だから、核には核をという国が次々に出てきても不思議はない。

 核の拡散は日本にとっても他人事ではない。 平和憲法と非核三原則を持つ日本は特別な配慮でプルトニウムの貯蔵を許されており、既に原爆1000発分のプルトニウムが蓄積されている。このような日本が、かつての西ドイツと秘密裏に核武装の相談をしたことが明らかになっている。1947年の廣島平和宣言以来核廃絶を訴えている日本もまた、ダブルスタンダードの批判を免れ得ないのである。日本の反核団体がパキスタンの原爆実験に抗議したとき「アメリカの核の傘に隠れている人達が偉そうなことを言うな」と逆に批判されたという。日本政府もまた、国連軍縮会議に毎年“究極の“核兵器廃絶を提案している一方で、アメリカの核戦略に影響を与えるような核軍縮案には反対や棄権を繰り返している。 未曾有の原発事故を起こしながら、なお原発を捨てきれない人達に中に、核武装の可能性を残しておくことが、日本の安全保障にとって必要だと主張する意見もある。(M)