Archive for 9月 21st, 2013

(162) オリンピック‐2

Author: 松山 薫

(162) オリンピック‐2

② 失われたオリンピックの理念

 近代オリンピックの創始者、クーベルタンは、フランスの貴族で、当時の慣習に従って士官学校への道を奨められたが、これを嫌って教育者を志した。イギリスのパブリックスクールを視察中、ラグビーを見て、スポーツが人間形成にはたす役割の重要性に気づき、やがてオリンピックの復活に力を注ぐことになった。オリンピック憲章には、彼の教育者としての理念が強く反映されている。憲章の「根本原則」として、オリンピック精神とは「人間の尊重に重きを置く平和な社会の確立」であり、オリンピック運動の目的は「相互理解に基づくスポーツを通して、平和でよりよい世界を築くことである」と謳っている。1925年に採択されたこの憲章の精神と目的は、現在の国連憲章や日本国憲法の精神と目的に完全に一致している。

 近代オリンピックを創設するに当たって、クーベルタンは古代オリンピックの聖地アテネのあるギリシャ国王と開催地をめぐって激しく対立した。ギリシャ国王は、古代オリンピックと同様、近代オリンピックも開催地を常にギリシャにするよう強硬に要求した。しかし、5大陸をあらわす5つの輪の五輪旗の発案者であるクーベルタンは、世界各地での持ち回り開催の理念を貫いた。

 クーベルタンのスポーツによる人間形成、世界平和への思いに共鳴したのが、日本では講道館柔道の創始者、嘉納治五郎であった。教育者として通算25年にわたって東京高等師範学校の校長を務めた嘉納治五郎は、クーベルタンによって、アジアで最初のIOC委員に任命され、死の直前までオリンピックの東京招致に尽くした。講道館柔道の根本原理は「精力善用」「自他共栄」であり、オリンピックの「根本原則」と通底している。

 オリンピックは長くアマチュア選手のスポーツ大会であった。日本最初のオリンピック選手は、東京高師の学生でマラソン世界記録保持者の金栗四三であったが、貧乏学生の金栗には渡航の費用がなく、全学挙げての募金活動によって第5回ストックホルム大会(1912)に送り出された。しかし、レースでは酷暑と睡眠不足によって26キロ付近で失神して近所の家に運ばれ、「消えた日本人」として記憶された。それから半世紀あまりたって1967年、金栗は再びストックホルムで開かれた第16回オリンピックに来賓として招待された。75歳の金栗は、競技場のゴールの手前から100メートルを走ってテープを切り、「日本の金栗、ただいまゴール、タイムは54年8ヶ月5時間32分、これで第5回ストックホルム大会の全日程は終了しました」という場内アナウンスが流れたという。東京オリンピックで私は、同窓の後輩であり、嘉納師範直系の柔道部出身者として、この話を心に刻んで取材し、何人かの外国人選手や役員に話したところ、”That’s the Olympic spirit! “ということで、後の話がうまくいったこともある。

 1974年の憲章改正で、プロの参加が認められるようになってから、メダル獲得競争による国威発揚や勝利至上主義によるドーピング問題がオリンピックの理念に影を落とすようになった。プロ化とTVの発達による大規模化を経済効果に結びつけたロサンゼルス・オリンピック以来、サマランチIOC会長の下で商業主義化が進み、オリンピックは利権の巣となり、数々のスキャンダルを生んできた。オリンピックは「憲章」や「根本原則」からどんどん遠ざかって、このままでは国威発揚のための巨大なスポーツ・ショーと化すのではないかという声が聞こえる。もっとも、「金持ちの都市や企業が金を払って、世界中の人が一流のショーを楽しむということでよいのではないか」という声もあるが、私はスポーツ選手は芸人ではないと思うしオリンピックは芸能ショーではないと考えている。IOC「根本原則」(6)が言うように、スポーツは fair play の原則がなければ成り立たないからである。

 fair playによって成り立つはずのスポーツの最大最高のイベントであるオリンピックを招致する為の最大の決め手がIOC委員へのlobbying(議員・委員らへの非公式な働きかけ)だというのが私には不可解である。IOCは国際委員会と名乗っているが、委員は各国の推薦や選挙によって選ばれるのではなく、内部の推薦で決まり一旦委員になれば80歳まで勤められる。開催希望国が少なく、時には立候補ゼロが心配された時代ならそれでよかったかもしれない。ロサンゼルス大会以来巨大化してオリンピックがうまみのあるイベントになってからは、開催国の決定に絡んで常にIOC委員の贈収賄が取り沙汰されることになった。サマランチ時代には16人のIOC委員が疑惑の対象として調査され、6人が除名された。IOC委員の1人はTVのインタビューで、今回もすれすれのことが行われたと述べている。
(スキャンダルの内容についてはSee「神々の崩壊」田中宇 風雲社)

 2020年の東京大会は7月下旬から8月上旬に開催される。熱中症が猛威を振るう酷暑の時期の開催は誰が考えても不適切だが、これは東京の招致委員会が提案し、IOCが決定したものだ。そうせざるをえなかったのは、最大のスポンサーであるアメリカのTVネットワークの意向を無視することができなかったからだといわれる。  

 前回の東京オリンピックには、アジアで初めての大会という絶対的な大義名分があったし、 軍国主義日本が平和国家として甦った姿を世界の人達に知ってもらうというオリンピック憲章の精神に合致する意義があった。4年前のIOC総会で東京が落ち、リオデジャネイロが成功したのは、南米大陸では初めてという大義名分があったからだ。今回の総会では、イスタンブールがイスラム圏で最初のオリンピックという大義名分とアジアとヨーロッパを結ぶ架け橋という意義を唱えて立候補した。東京にはそのような大義名分はなかった。そこで考え出したのが、“東日本大震災からの復興”であったが、これが、福島原発の汚染水問題につ
いて世界の関心を呼び起こすことになり、招致チィームは火消しに追われることになった。

 このような中で、出てきたのが安倍首相の「状況はコントロールされている」という発言である。質問者はそれ以上追及しなかったし、同行した日本人記者団も沈黙したままだったが、この発言を聞いた日本人の多くは「状況はコントロールされるどころか、ますます悪化している」と思ったただろうし、正確な状況が報道されるにつれて、国外でも「安倍首相はウソをついたのではないか」という疑惑が深まるおそれがある。嘘つき、は英語ではliarであるが、この言葉は日本語よりはるかに強い響きを持ち、時には全人格を否定することさえある。最高責任者の発言だけに、日本の国としての信頼にかかわることになりかねない。

 五輪招致に影響するということで、あえて延期された汚染水問題に関する国会の閉会中審査が近く開かれる。野党には真実を追究する責任があるし、安倍首相には説明責任がある。2020年東京オリンピックが unfair な方法で招致されたという疑惑を払拭し、選手はもとより、多くの国民が、一点の曇りもない心でオリンピックを迎えられるよう、真実が明らかにされることを切に期待したい。(M)