Archive for 5月 7th, 2011

<日本の生きる道 文春vs世界 ②> 松山 薫

文芸春秋とは対極にある月刊誌、岩波の「世界」は「生きよう」というタイトルで、5月号全部を大震災と原発災害の特集にあてている。この雑誌の寄稿者はもともと反・非体制派、改革派の学者や評論家が多いが、この特集でも、多くの論者が、今回の災害によって、経済のあり方、社会のあり方、生活のあり方全てが変わる可能性があるとして、パラダイムの大転換を主張している。

 巻頭論文とも言うべき「巨大複合災害に想う」の中で、かねてから原発の危険性に警鐘を鳴らしてきた経済評論家の内橋克人は、「原発安全神話」が作られてきた経緯とその中で東電が主導する電気事業連合会が果たした役割を詳細に検討し、この「神話」をもとに、膨大なカネを使って反対論を封じ込め、政財官が一体となって「原発100基計画」を推し進めてきたと批判している。そして、その「神話」が完全に破綻した今、競争原理と核エネルギーを経済発展の原動力としてきた社会は、自然エネルギーを原動力に、「連帯、参加、協同」を原理とする「共生社会」への転換を求められているという持論を展開している。

 また、環境エネルギーの専門家である飯田哲也と映画監督の鎌仲ひとみの対談では、「安全神話」を作る中核となったいわゆる「原子力ムラ」は、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、原子炉メーカーそして電力会社による運命共同体であるとし、この共同体が、日本のエネルギーの未来には、あたかも、原子力エネルギー以外には選択肢が無いかのような誤まった情報を御用学者や御用メディアを通じて流してきたとして、自然エネルギーが、選択肢になりうると主張している。

 さらに、パラダイムの転換を前に、これまでの総括が必要であるという立場から、国際政治学者の坂本義和は、この「安全神話」をかばい続けてきた自民党から、今回の大惨事に対して責任を感じて詫びる言葉が全く聞こえてこないことは不思議であると強く批判している。
また、経済学者の金子勝は、今回の原子力事故について、政府から独立した第三者による事故調査委員会を早急に立ち上げ、事故原因の究明と、危機に際しての東京電力、安全委員会、安全院それに政府の対応が適切であったかどうかを厳しく検証することが、再発防止のためにぜひとも必要であると論じている。

 そして、今後の復興への道筋については、巻末の論考で、作家の辻井喬(元セゾングループ代表堤清二)が、日本は復興需要によって再生できるとして、その際、経済の負の側面である所得格差、性差別などをなくす努力をすること、武器輸出3原則の緩和やTPPによってアメリカとの経済の一体化をはかるのではなく、国際協調路線によって日本の独立性を強化すること、公的教育費の増加によって、人間を産業構造のネジ釘に均一化する現状を改め、ひとりひとりの能力を引き出して、全体としてのパワーの増大を図ることなどを提言し、パラダイムの転換をテーマにした数多くの公開された討論の場が必要であると述べている。
 
 「世界」の論者は、このようにほぼ一致してパラダイムの転換を主張しているが、原子力に代えて、何をどのように使っていくのか、その時の生活はどうなるのか、それにはどれくらいの時間と費用がかかるのか、原発の廃止によって生ずる経済の停滞、雇用の減少をどうするのか、など転換のための具体的な道筋を提示しなければ説得力は生まれない。人間はもともと急激な変化を好まず、現状に満足する習性をもっており。士農工商の身分制度で百姓は”活かさず殺さず”の境遇に置かれていた江戸時代においてさえ、国学者の本居宣長は「人は皆、今生きている世の中を一番よいと思っている」と書き残している。戦時中「日本よい国、強い国、世界に輝く神の国」と信じて疑わなかった自分自身を省みてもそう思う。これから始まるだろう「原発維持」「脱原発」のせめぎ合いの中で、パラダイム転換論者の力が試される。

 ノーベル文学賞を受賞した際「あいまいな日本の私」と題して講演した大江健三郎は、特集号の巻頭言で、「日本というあいまいな国」は、今度の原発災害で新局面に立たされており、もはやあいまいを続けることは出来ず、明確な態度決定を迫られていると述べている。それは当然、貴方にも私にも向けられた重い言葉である。態度決定の前には、事実を知る必要あるから、独立事故調の検証結果と辻井の言う開かれた国民的大論争を期待したい。原発に対する是非論は必然的に、社会のあり方にかかわってくるから、それは、我々全てに、「日本の生きる道」を問うことになるだろう。(M)