Archive for 5月 21st, 2011

< 私見 日本の生きる道 ② > 松山 薫

 中国で文化大革命の嵐が収まった頃のことだから30年以上前だが、中国事情を聞く会で、経済学者の伊東光晴教授が「中国人が肉を食べ始めたら、大変なことになる。」と述べたのを聞きとがめ「日本人はたらふく肉を食べているのに、中国人には肉を食うなということですか」と質問した。伊東教授は「勿論そんなことではない。今中国では穀物をそのまま食べているが、牛や豚を育ててその肉を食べるようになると、穀物は今の5倍は必要になる。10億人の中国人が一斉に肉を食べ始めたら、世界はたちまち食糧難になりかねないということへの警鐘だ。」と説明された。

 先ごろ発表された国連の推計によると、現在70億の世界の人口は、アフリカ、アジア、中南米を中心に爆発的に増えて2050年までに93億人に達するという。ITの発達により、世界的な所得の平準化は急速に進んでおり、先進国の国民だけが肉を飽食するようなことはもはや許されなくなった。人口増加と所得・生活水準の平準化による穀物不足、それに地球の温暖化による異常気象で世界の穀倉地帯野で毎年起きる旱魃や洪水で、食糧、特に基本的な食糧である穀物の不足が深刻化する。農林水産省の試算では、10年後には世界で1億トンの穀物が不足し、穀物価格は2000年の3倍になるという見通しだ。そのうち、いくらカネを出しても買えない事態が起きるかもしれない。食糧と並んで生きるために欠かすことの出来ない燃料も、石油、天然ガスなどの化石燃料は、50年後にはほぼ枯渇するという。そのうえ、先進国の金融緩和でダブついた資金による資源の買いあさりという人災によって増幅され、食糧、資源の獲得競争は国家の生存を賭けたすさまじいものになりかねない。いや、既にその予兆が見えている。太平洋戦争の直接の原因が石油資源をめぐる争いであったことを忘れてはならないだろう。

 戦中、戦後の飢餓地獄の中で生きた我々世代の人間には、食料不足がなにより怖い。皆が食べ物を得るために、公園や猫の額ほどの庭を耕してイモを作ったり、川や池で鯉や鮒、鰻などをすなどって、飢えをしのいだ。東京地裁の山口判事や東大の橋本教授のようにヤミ米を食うのを拒否して餓死した人もいたが、大方は、食い物を求めて餓鬼になった。敗戦直後のインフレ時代には、農家はカネではコメや野菜を売ってくれなかった。和服、骨董品などとの物々交換を求めた。中には女に身体を要求する者までいた。船橋聖一の小説に生々しく描かれている。若い女たちはチョコレートや缶詰のために自ら米兵に身体を売った。いわゆるパンパンである。栄養失調だと寒さも骨身にこたえる。冬の最中に外套も着ずに闊歩するアメリカ兵達を見て、ちょっと前まで、鬼畜米兵を竹槍で刺し殺すことを崇高な使命と心得ていた私が、ああ、アメリカに生まれたかったなあと思ったこともある。人間とはそういうものではないか。30年後、50年後を見すえて、そういう事態を招かぬようにするのが、政治の最大の任務ではないのか。その意味で武村提案は国民の生存権にかかわる根源的な意味を持つ。

 確かに、武村自身が言うように、この提案には、大規模な人口移動が出来るのか、田畑をなかよく等分できるのか、高齢者は元気で働けるか、他の産業はどうなるのかなど、解決の難しい問題がふくまれており、多くの人達にとって想定外かもしれない。しかし、柳田邦男が言うように、今は未曾有の災害に直面して日本人の想像力が試されている時である。日本人の英知を集めて、自らの生きる道への想像力を極限まで伸ばしてみようではないか。これはそういう提案でもあるのだ。(M)