Archive for 10月, 2011

脳の神経回路が変化し、新しいパターンが作られるのは、シナプスに強い信号が送られる場合です。そしてそれが起こるには、人の場合には特に強い意志的あるいは情意的インパクトが重要であることを前回述べました。1940年代に、ヘブ(Hebb)という人が、「ふたつの神経細胞の間のシナプスで刺激が繰り返し伝達されるとそのシナプスの繋がりが強くなる」というメカニズムを予言しました。この予言が、後にウサギやマウスなどを使った実験でそのメカニズムが明らかになり、海馬におけるこのシナプスの繋がりが長期にわたって保たれることも分かりました。この現象を専門家は「長期増強」(long-term potentiation, LTP)と呼んでいますが、じつはこれが海馬において獲得される記憶の実態であったのです。

 「長期増強」に関連して、海馬におけるシナプスの繋がりにはもう一つ「連合」という大切な特質があります。これはそれぞれの神経細胞がいくつもの記憶パターンに関係することから当然予想されることです。一つの神経細胞は約1万個の他の神経細胞とシナプスによって繋がっていますので、いま神経細胞Xに神経細胞Aから非常に強い信号がシナプスを通して入ってきたとすると、そのことによってAとXとの間にシナプス結合が生じます。それだけではなく、隣接するBやCの神経細胞から送られてきていた弱い信号も同時に強められて、そこに新しいシナプス結合が起こるわけです。これが「連合」と呼ばれる現象です。池谷裕二氏はこれを鉄道の路線にたとえ、一つの路線に他の路線が乗り入れるのに似ていると言います。私たちは、以前に一度だけ体験したことがすぐに記憶され、後になってその体験の一部の手がかりが与えられると、次々に体験全体が再現されるという経験をします。一つの小さな記憶が連想によって全体の体験が復元されるわけです。このような記憶を「エピソード記憶」といいますが、これは連合という記憶の特質によって生じるものです。記憶力を増大するには、記憶における連合の性質を利用して、小さなエピソード記憶を大きなエピソード記憶に拡大する工夫が有効なわけです。

 次に、海馬において獲得された記憶はどのようにして固定され、保持されるのでしょうか。海馬で獲得された記憶の痕跡がどこかほかの場所に移って、長期記憶として保持されることは確かですが、そのメカニズムはまだ完全に解明されてはいません。しかし、この記憶の固定について意外なことが分かっています。これは以前から一部の研究者の間で言われていたことですが、海馬において獲得された記憶は睡眠中に固定されるというのです。最近出版された理化学研究所脳科学総合研究センター(センター長・利根川進博士)編『脳科学の教科書 神経編』(岩波ジュニア新書 2011)によると、記憶の固定化と睡眠について次のような記述があります。

「ヒトの睡眠中には、約1時間半ごとに、眼球を動かす睡眠が見られます。そのあいだ、筋肉の力は抜けており、脳波をとると、覚醒時に近い脳波となっています。このように、急速眼球運動(rapid eye movement)が見られ、脳が覚醒脳波に近いパターンを示し、筋の緊張が低下している状態をレム(REM)睡眠と呼んでいます。そして、このレム睡眠中にはとくに夢を見ている場合が多いのではないかと考えられています。これに対して、急速な眼球運動が見られず、脳波も覚醒時とは違って遅い波が中心となっている睡眠のことを、ノンレム睡眠と呼びます。睡眠のうちでも、ノンレム睡眠は宣言的記憶に、レム睡眠は非宣言的記憶の固定に重要だと考えられています。」(210−211ページ)

マウスの実験などから、睡眠中に、記憶を獲得したときと似た活動パターンが脳に現れることが分かっています。そしてそれが大脳皮質に転送されるわけですが、どのように転送されてどのように保持されるのかは、まだよく分かっていないようです。しかしいろいろな証拠から、記憶の固定に睡眠が重要であることは疑いのない事実です。たくさん覚えたら、そのあとはよく眠ることです。

なお、先の引用文の中の「宣言的記憶」というのは、その内容を言葉で説明することができるような記憶のことです。「エピソード記憶」はその一つです。これに対して「非宣言的記憶」というのは、記憶の内容が言葉ではうまく説明できないようなものです。たとえば、パブロフの犬の実験で有名な「古典的条件づけ」や、最近しばしば話題に上る、電気ショックを与えるなどの「恐怖条件づけ」がこれにあたります。これらは反射であって、自分の行動を言葉で説明することはできません。また自転車乗りの学習のように、いったん乗ることを覚えると、そのあと乗らなくても身についているような学習の記憶があります。「からだで覚える」技能の多くはこういう記憶が大きな働きをします。このような記憶を特に「手続き的記憶」と呼ぶことがありますが、言語の産出技能はそのような記憶と大いに関係があります。(To be continued.)

< 「おひさま」終る > 松山 薫

 NHKの朝の連続TVドラマ「おひさま」が先ほど終った。朝日新聞の社説が「まもなくおとずれる丸山陽子さんとの別れを思うと寂しくなってしまう人も多いことだろう」と書いたが、確かに私もその一人だった。NHKの朝ドラはこのところしばらく見ていなかったが、「おひさま」はずっと見続けた。ヒロイン丸山陽子が私たち夫婦と同世代で、ドラマの内容が戦争中から戦後にかけての時代を思い出させるものだったからである。また、ヒロインの老後と次の世代の女性への語り手を演じた若尾文子さんも、1933年の生まれで、その時代を体験した人だから、語りにも私たちと同じ思いがこもっていた。その思いとは、我々戦争を知る最後の世代からの、家族や地域社会の絆、そしてそれをつつむ豊かな風土を大切に生きて欲しいという願いをこめた次の世代へのメッセージだったと思う。

 視聴率の高さにも見られるように、そういう思いが多くの人に受け止められたのは、大震災や原発事故が否応なく日本人全体に戦後の経済優先の生き方への反省を迫り、むき出しの競争主義の果てに訪れた世界経済の混迷の中で、これから生きていく道を探る上で、このドラマが、ひとつの示唆を与えるものであったからだろう。とりわけ、これから復興の長い道のりを歩かねばならない被災者の人達への心のこもったエールであったように思う。

 物語は長野県の安曇野と松本で暮らす陽子が、家族や友人、知人それに地域の人達とのつつましい生活の中で、自分もみんなも幸せになりたいと願いながら懸命に生きる姿を豊かな信濃の自然の中で描いたものだ。彼女は安曇野の高等女学校を出て松本の師範学校に学び、小学校の教師になった。私は戦争が始まってまもなく中学へ進学したので、その後の小学校(国民学校)でどんな教育が行われていたのかに興味を持って見たが、小学校でも軍事教練が実施され、小さな女の子が巻き藁をアメリカ兵に見立てて竹槍で刺し殺す訓練を受けていたのにはいささか驚いた。そのような教育に一抹の不安を感じながらも、日本の勝利のために軍国主義教育に加担した彼女が、敗戦と教師としての責任をどう感じたのかにも興味を持った。教科書を墨で塗りつぶす日、彼女は生徒達に「先生が教えていたことは間違っていました。本当にごめんなさい」と謝った。これによって、教師として何よりも大切な生徒達との心の絆はつながった。私は自分の中学の教師達にも、間違いを認める勇気がほしかったとつくづく思った。また、予科練から復員して生きる道を見失い自暴自棄になりかけたヒロインの次兄が、同じ時期に同じような道をたどった自分と重なり、どのようにして立ち直るのかにも興味を持った。彼は戦死した兄の遺志を継いで医者になる決心をして受験勉強に取り組むのだが、そこに至る心の葛藤は、心に響き、懐旧の思いがこみ上げてきた。

 陽子はやがて松本の老舗そば屋の1人息子に恋して結婚し、直ぐに夫を戦場へ送り出すことになった。夫は復員するが、長兄、小学校の同僚、先輩女教師の恋人、向かいの若い人妻の夫はついに帰ってこなかった。若い夫婦は、戦死した人達の分まで「幸せになろう」と誓う。そして娘が生まれ、婚家の両親ともうまくいって幸せの絶頂にあった時、大火でそば屋は全焼した。この場面では、空襲で丸焼けになった我が家の前で呆然自失してへたり込んだ遠い日のことが思い出された。津波で家族や家を失った被災者たちも同じ思いでこの場面を見たに違いない。

 友人や知人、親戚の協力で安曇野の空き家でそば屋を再開した家族は、力を合わせて働き、少しずつ幸せを取り戻していった。東京から訪ねて来て物語の聞き手となった次の世代の女性は、便利で一見華やかな都会での暮らしの中で大切なものを失っていた自分の生き方に気づき、家族とともに夫の転勤先である、彼女にとっては僻地であった北海道へ去っていく。
そしてフィナーレでは、頑健そのものだった父が急病で倒れ、回復はしたものの、人生にはいつか大切な人との別れがくることを悟り、一層家族や身近な人達との絆を深めていく。
  
 登場人物が善人ばかりで退屈だという声もあったようだが、人間社会の人のつながり、絆の大切さを、遠くを見つめるまなざしで、今の世にも通ずる真実であることを訴えかけたこのドラマによって、善人こそが人の世を支える礎であるという紛れもない事実に改めて気づいた人もいるだろう。”おひさま”のように周囲を明るくする人になれ“と教えて、幼い頃に亡くなった母の願いを胸に、激動の昭和を生き抜き、そして老いたけなげな女性に同じ時代を生きたひとりとして心からの共感の拍手を送りたい。(M)