Archive for 10月 1st, 2011

< 「おひさま」終る > 松山 薫

 NHKの朝の連続TVドラマ「おひさま」が先ほど終った。朝日新聞の社説が「まもなくおとずれる丸山陽子さんとの別れを思うと寂しくなってしまう人も多いことだろう」と書いたが、確かに私もその一人だった。NHKの朝ドラはこのところしばらく見ていなかったが、「おひさま」はずっと見続けた。ヒロイン丸山陽子が私たち夫婦と同世代で、ドラマの内容が戦争中から戦後にかけての時代を思い出させるものだったからである。また、ヒロインの老後と次の世代の女性への語り手を演じた若尾文子さんも、1933年の生まれで、その時代を体験した人だから、語りにも私たちと同じ思いがこもっていた。その思いとは、我々戦争を知る最後の世代からの、家族や地域社会の絆、そしてそれをつつむ豊かな風土を大切に生きて欲しいという願いをこめた次の世代へのメッセージだったと思う。

 視聴率の高さにも見られるように、そういう思いが多くの人に受け止められたのは、大震災や原発事故が否応なく日本人全体に戦後の経済優先の生き方への反省を迫り、むき出しの競争主義の果てに訪れた世界経済の混迷の中で、これから生きていく道を探る上で、このドラマが、ひとつの示唆を与えるものであったからだろう。とりわけ、これから復興の長い道のりを歩かねばならない被災者の人達への心のこもったエールであったように思う。

 物語は長野県の安曇野と松本で暮らす陽子が、家族や友人、知人それに地域の人達とのつつましい生活の中で、自分もみんなも幸せになりたいと願いながら懸命に生きる姿を豊かな信濃の自然の中で描いたものだ。彼女は安曇野の高等女学校を出て松本の師範学校に学び、小学校の教師になった。私は戦争が始まってまもなく中学へ進学したので、その後の小学校(国民学校)でどんな教育が行われていたのかに興味を持って見たが、小学校でも軍事教練が実施され、小さな女の子が巻き藁をアメリカ兵に見立てて竹槍で刺し殺す訓練を受けていたのにはいささか驚いた。そのような教育に一抹の不安を感じながらも、日本の勝利のために軍国主義教育に加担した彼女が、敗戦と教師としての責任をどう感じたのかにも興味を持った。教科書を墨で塗りつぶす日、彼女は生徒達に「先生が教えていたことは間違っていました。本当にごめんなさい」と謝った。これによって、教師として何よりも大切な生徒達との心の絆はつながった。私は自分の中学の教師達にも、間違いを認める勇気がほしかったとつくづく思った。また、予科練から復員して生きる道を見失い自暴自棄になりかけたヒロインの次兄が、同じ時期に同じような道をたどった自分と重なり、どのようにして立ち直るのかにも興味を持った。彼は戦死した兄の遺志を継いで医者になる決心をして受験勉強に取り組むのだが、そこに至る心の葛藤は、心に響き、懐旧の思いがこみ上げてきた。

 陽子はやがて松本の老舗そば屋の1人息子に恋して結婚し、直ぐに夫を戦場へ送り出すことになった。夫は復員するが、長兄、小学校の同僚、先輩女教師の恋人、向かいの若い人妻の夫はついに帰ってこなかった。若い夫婦は、戦死した人達の分まで「幸せになろう」と誓う。そして娘が生まれ、婚家の両親ともうまくいって幸せの絶頂にあった時、大火でそば屋は全焼した。この場面では、空襲で丸焼けになった我が家の前で呆然自失してへたり込んだ遠い日のことが思い出された。津波で家族や家を失った被災者たちも同じ思いでこの場面を見たに違いない。

 友人や知人、親戚の協力で安曇野の空き家でそば屋を再開した家族は、力を合わせて働き、少しずつ幸せを取り戻していった。東京から訪ねて来て物語の聞き手となった次の世代の女性は、便利で一見華やかな都会での暮らしの中で大切なものを失っていた自分の生き方に気づき、家族とともに夫の転勤先である、彼女にとっては僻地であった北海道へ去っていく。
そしてフィナーレでは、頑健そのものだった父が急病で倒れ、回復はしたものの、人生にはいつか大切な人との別れがくることを悟り、一層家族や身近な人達との絆を深めていく。
  
 登場人物が善人ばかりで退屈だという声もあったようだが、人間社会の人のつながり、絆の大切さを、遠くを見つめるまなざしで、今の世にも通ずる真実であることを訴えかけたこのドラマによって、善人こそが人の世を支える礎であるという紛れもない事実に改めて気づいた人もいるだろう。”おひさま”のように周囲を明るくする人になれ“と教えて、幼い頃に亡くなった母の願いを胸に、激動の昭和を生き抜き、そして老いたけなげな女性に同じ時代を生きたひとりとして心からの共感の拍手を送りたい。(M)