Archive for 10月 8th, 2011

< 入院の記 > 松山 薫

 今月の初めに、狭心症の検査のため3日間入院した。70代の初めまで、全く病気とは無縁だったが、75歳の時に3回入院したので、今回は4回目である。前の3回の病気は、胆石と膵臓炎で、遠因はいずれも酒の飲みすぎであった。我ながらよく飲んだもので、家一軒分は確実に飲み干した。したがって、今もって団地住まいというわけである。40歳まで貯金は文字どおり1銭もなかったので家など建てようもないし、家は帰って寝るだけの場所だったから、そんな気持ちもなかった。

 そういう生活が確実に身体を蝕んでいたのだろう。報いは退職後にやってきた。やがて血圧が上がりだし、そのうち肝機能が破壊されたらしく、γグロブリンの数値が、常人の何十倍にも跳ね上がった。かかりつけの医師は、はじめ、この数値は間違いだろうと首をひねったが、正確だったのだ。肝機能の低下は、肝臓につながる胆嚢に大量の石、胆石が溜まる結果となって、しょっちゅう七転八倒することになり、手術に至った。この時は20日ほど入院し、一旦退院したあと、傷口が化膿して、また2週間入院した。右腹を12センチ切って、胆石をシャーレ半分ほど取ったのだが、なんと、執刀医が、胆石をひとつ取り残し、それが、膵臓の入り口に引っかかってしまったのだから、たまらない。

 人間の膵臓液というのは、牛一頭を完全に溶かす能力があるそうで、入り口をふさがれて溜まった膵臓液が自分の膵臓を溶かし始めたのである。目のくらむような激痛の中、何がなんだかわからないうちに救急車に乗せられて救命センターに運び込まれ、鎮痛剤は打ってもらったものの、2~3時間しか効かず、3日3晩唸りとおした。6人部屋の患者さんたちは大迷惑だったろう。とにかくもう少し遅れたら生きては帰れなかったと後で聞いた。

 膵臓炎の治療というのがまた過酷なもので、1ヶ月間以上文字通り絶水、絶食で点滴だけで生きるのである。10日目くらいからは本当に目が廻る感じになってきた。特に食事時、その匂い、カシャカシャと食器と箸などが触れ合う音を聞いていると、いたたまれなくなるので、つい廊下をぶらぶらすることになる。おかげで病院中の患者の人達と大分顔見知りになった。看護師さんには、文句もいわずによく頑張りますねと褒められた。若い男は一週間で音を挙げて、何か食わせてくれと懇願するという。いつの間にか、同室の患者の間でも、“やっぱり兵隊検査を受けた人は違う”ということになって、若い患者が泣き言を言ったら、「絶食30日」という張り紙を背中に貼って病棟を歩けば、看護師さん達がたすかるよと言われた。

 そういえば、これは病気とはいえないようなものなので回数から省いたが、白内障の手術後に2日間入院したことがあった。このときは、病院に眼科の病室がないため、内科のそれも重症患者の6人部屋の真ん中にほうりこまれた。とにかくもう病室は地獄絵である。痰の吸引がうまくいかず、ものすごい絶叫があちこちで起き、糞尿と吐しゃ物の異臭が充満して、一晩の内に2人が個室へ移された。人間の最後とはこんなに無惨、悲惨なものかと、強烈なぴんぴんころり願望が生まれた。

 さて、今回の入院だが、病気はかなり重い狭心症だからやがて心筋梗塞につながり、ぴんぴんころりとなる。これで願いがかなうかと思ったが、そううまくはいかないらしい。ぴんぴんの後が半身不随ということもありうるわけだ。それで、カテーテルによる心臓冠動脈の精密検査を受けたのである。痛くもかゆくもない1時間ほどの検査であったが、右手首を切開してカテーテルを入れたので、2日間右手を使えなかった。利き手を全く使えないというのは、めちゃくちゃに不便なものである。早い話がトイレにいってもペーパーは使えず、だだ、噴水を5分間も当てて流すという始末になる。まあ何とかしのいだ。

 病院では一日ベットでごろごろしているので、ついうとうとして夜眠れなくなる。退院の日の明け方悪夢を見た。真っ黒な焼け跡がどこまでも坦々と広がっている。人っ子一人いない不気味な沈黙の平原である。この夢にはこれまでにも何回もうなされているし、実はこの光景も実際に見たものなのである。敗戦の年の3月、東京大空襲の後、荒川に住んでいた友人が学校へ来ないので、級友と2人で見に行った時のことだ。付近は真っ黒な平原だった。友人の家のあったところあたりに何か柱のようなものが立っていたので、近寄って見るとそれは、洋服屋をしていた彼の家の3台のミシンが焼け爛れたものだった。彼はついに帰ってこなかった。

 明け方に目がさえて眠れず、隣のベッドの患者の唸り声を聞いているうちに、あの光景が、津波に襲われて平らになった三陸海岸の被災地に酷似していることに気づいた。それはまさにデジャヴュの感覚だった。そのうちまた眠ってしまったらしく、発想は、思わぬところに飛んだ。自分が文科相になって全国の教育委員会に指示を出し、中・高校の今年の修学旅行は三陸海岸を最優先とするよう促したのである。これこそまさに、千万言に勝る教育ではないか!
 
 3日ぶりに帰宅して夜は熟睡した。コンクリートの函のような家ではあっても、やはり我が家の布団はありがたい。 家に帰ってぐっすり眠りたいという被災者の人達の痛切な願いが、一日も早くかなえられるよう祈りたい。(M)