Archive for 7月 21st, 2013

“毒母”という言葉で考えたこと
(1)広島県呉市で起きた17歳の少女が女友だちを殺して山中に埋めたという事件は衝撃的でした。私的なことですが、私は呉市で小学生になり4年生まで住んでいましたので、特にショックを感じました。“灰が峯”という山は海抜737メートルの山ですが、周囲にはそれより高い山が無いので、結構目立つのです。私の小学校の校歌には“灰が峯”が歌われていました。

(2)明治維新という流血の内戦の結果として日本は近代国家の仲間入りをしたわけですが、必ずしも望ましい革命とはならなかったと私は思っています。三百年以上も続いた鎖国と徳川封建制の影響は非常に強くて、それは第2次世界大戦の敗北という犠牲を払っても払拭できない力として今日まであらゆる面で民主化の阻害となってきたように感じます。

(3)話題は変わりますが、私は“毒母”(どくぼ)という言葉を、“遠野なぎこ”という女優の告白を取り上げたラジオ番組で知りました。詳しくは、インターネットで、“遠野なぎこ”、または、“毒母”で検索すると様々な情報を得られます。“毒母”というのは、簡単に言えば、一般に考えられている母性愛のある親ではなくて、母性を全く失った母親のことです。どのように母性を失うかと言えば、一人の人間として目覚めてしまう女性のある者は、「自分は子供による犠牲者だ。子供が憎い」と思うあまり、子供に対する陰惨な“いじめ”を実践してしまうのです。

(4)そのように育てられた子供は犯罪者になる可能性が大きくて、今日では頻度の差はあるにしても世界的に見られる現象だとのことです。しかし、そんな環境に育ちながらも成人してからは、毒母に悩む人たちを救おうと努力している人の話も聞きました。何事にも例外はあるものです。呉市の事件はまだ明らかになっていないことが多いですが、マスコミの取り上げ方は感情的な要素が強く、読者も冷静な判断を失いがちです。これはとても危険です。

(5)前回の私ブログ(“いじめ”を考える)にも書きましたように、日本はまだまだ男性優勢の社会ですから、「女性はそんなにひどいことはしないだろう」という意識が男性の間に強いのですが、通常の本能や理性を失った人間がとる行動は男女の差は無いと考えるべきなのです。マスコミも、「女のくせに」といった意識が見え隠れするような報じ方は避けてもらいらいと思います。

(6)不景気な時には犯罪が増えるので、景気を良くすべきだという見解もありますが、“毒母”のような存在は、景気などに左右される問題ではないと思います。もっと人間性の本質に基づいた分析や対策を考える必要がある問題なのではないでしょうか。(この回終り)