Archive for 7月 7th, 2016

2002年7月、文科省は「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」なるものを公表して私たちを驚かせました。このニュースを耳にした(または目にした)人々の中には、思わず「おー」と声を上げた人もあるのではないでしょうか。そして「学校でそういう英語を教えてもらえるなら結構なことだ」と思う反面、「ほんとうにそんなことができるのだろうか?」「どうやってやるのだろうか?」と疑問を持った人も多かったでしょう。明治になって学校で英語が教えられてから百年以上になりますが、小学校から大学にいたるまでの全国の学校が、いっせいに「英語が使える日本人の育成」というような目標を掲げたことはなかったのです。

そこでまず文科省のホームページを開いて、その構想の内容を確かめましょう。2002年に発表されたこの文科省構想は、2003年3月、「『英語が使える日本人』の育成のための行動計画」として具体化しました。それはまず、遠山敦子文部科学大臣による本計画の趣旨説明(約2,000字)で始まっています。以下に、そこで用いられている文章の表現を用いながら、要点をまとめてみます。

*グローバル化が急速に進展した現代の国際社会においては、子どもたちが21世紀を生き抜くために、国際的共通語としての英語のコミュニケーション能力を身に付けることが不可欠であり、このことは、我が国が世界とつながり、世界から理解、信頼され、国際的なプレゼンスを高め、一層発展していくためにも極めて重要な課題である。

*本「行動計画」は、今後5ヵ年で「英語が使える日本人」を育成する体制を確立すべく、平成20年度を目指した英語教育の改善の目標や方向性を明らかにし、その実現のために国として取り組むべき施策を具体的な行動計画としてまとめたものである。

*文科省は、さまざまな機会を通じて本行動計画を広く国民への理解を促すとともに、改善に向けた各種の取り組み状況などを評価し、毎年、計画を見直すこととする。

文部科学大臣によるこの趣旨説明を読むと、新しい世紀を迎え、長年にわたって惰眠を貪ってきた我が国の英語教育システムをここで一挙に改革し、国を挙げて英語が使える日本人を育成しようという意気込みが感じられます。確かに、英語教育はこのままではいけません。何らかの改革が求められています。しかし、「行動計画」の本文に入り、冒頭に書かれている「『英語が使える日本人』育成の目標」を見て、そこで愕然とします。そこには日本人に求められる英語力として、次のような、にわかには信じがたい目標が記載されているからです。

「目標」国民全体に求められる英語力:「中学校・高等学校を卒業したら英語でコミュニケーションができる」

○中学校卒業段階:挨拶や対応、身近な暮らしに関わる話題などについて平易なコミュニケーションができる(卒業者の平均が実用英語技能検定(英検)3級程度)

○高等学校卒業段階:日常的な話題について通常のコミュニケーションができる(卒業者の平均が英検準2級~2級程度)

専門分野に必要な英語力や国際社会に活躍する人材等に求められる英語力:「大学を卒業したら仕事で英語が使える」

○各大学が、仕事で英語が使える人材を育成する観点から、達成目標を設定

これは明らかに誤った前提に基づいて書かれています。文科省のエリート官僚たちがまじめに議論して作成したものとは思えないものです。調べてみますと、この「行動計画」は、その発表の前に急遽開かれた「英語教育改革に関する懇談会」(2002年1月~5月まで5回開催)の議論に基づいて作成されたもののようです。しかしその懇談会の「議事要旨」を読んでも、このような具体的な目標について議論された形跡はありません。おそらく文科省は、必要に迫られて、この目標を後から急遽付け加えたのでしょう。とにかく、この「行動計画」は問題だらけです。その問題点のいくつかはすでに英語教育の専門家たちからも指摘されています(注1)。しかし文科省がそのような批判を受けて改訂した形跡は今のところありませんので、上記の「目標」の部分に限って、すぐにも修正を必要とする問題点を以下にまとめます。

第1の問題点は、「中学校・高等学校を卒業したら英語でコミュニケーションができる」というのが、国民全体に求められている英語力だとしている点です。筆者の想像では、これを見た一般の人々は「すばらしい目標だ」と思うかもしれません。しかし理性のある人ならば、次の瞬間「これはおかしい」、あるいは「それは不可能だ」と思うはずです。国民全体が英語を使えるようにするというこの目標は、英語を日本国の第二公用語にすると宣言していることに等しいものです。日本が国策として英語を公用語とするのがよいと考えている人もいますが、それが間違っていることは、これまでの論争ですでに決着がついています(注2)

第2の問題点は、中学校・高等学校の到達目標が、「挨拶や対応、身近な暮らしに関わる話題などについて」および「日常的な話題について」、英語でコミュニケーションができるようになるという目標が掲げられていることです。なぜ日本人が英語で挨拶したり、日常的な話題について英語で話したりすることがそれほど大切なのでしょうか。そういうことが「英語が使える日本人」に求められる英語力だと言うのでしょうか。たしかに英語入門期の授業では、挨拶や身近な暮らしに関わる話題が取り上げられことが多いようです。しかしそれが英語を学ぶ主要な目標だとは考えられません。これを書いた人たちは、日本人の英語学習目標について、大きな誤解をしているのではないでしょうか。

第3の問題点は、中学校卒業段階・高等学校卒業段階のそれぞれの目標に付いている括弧内の記述が、あまりにも稚拙なことです。中学卒業者の平均が英検3級程度、高校卒業者の平均が英検準2級~2級程度とあります。ここで「英検」があたかも権威あるもののように出てくるのも問題ですが、この目標作成者は、この程度の英語力で「コミュニケーションができる」と本気で考えているのでしょうか。そうであれば、その見識を疑わざるを得ません。

そういうわけで、この「行動計画」はその前提となる目標の記述において、根本的な誤りをおかしています。それは文科省の予算獲得の役には立ったかもしれません(事実、英語教育改善のための文科省予算として、2003年度は前年の3.4倍、11億100万円の予算を獲得)。しかし、それが現実の英語教育改善に役立っているかは疑問です。この「行動計画」には英語教員を対象とした研修計画など、今後さらに充実を図るべき重要な項目も含まれています(注3)。したがって次の段階に入る前に、文科省は英語教育の目標に関する理念を糺し、「行動計画」を早急に見直す必要があります。

(注1)岩波ブックレットNo.748『「英語が使える日本人」は育つのか?』(2009年)の中で、山田雄一郎氏はこの文科省の「行動計画」を次の3つの点から批判しています。1.日本人全員が日常的な挨拶や対応を英語で行うことを当然のように考えるのは誤っている。 2.学校教育の各段階に一定の数値目標を設けることは方法論的に誤っている。3.到達目標の判定基準に各種の試験を持ち出しているが、そこには明らかな矛盾がある。

(注2)故小渕恵三首相の私的諮問機関として委嘱された「21世紀日本の構想懇談会」の報告書(1999年)の中に、「長期的には英語を第二公用語にすることも視野に入ってくる」という文言があり、注目されました。その懇談会の委員の一人であった舟橋洋一氏が、その後に『あえて英語公用語論』(文春新書2000年)を出版して反響を呼びました。論争では圧倒的に反対論が優勢で、英語公用論が危険に満ちたアイディアであることが指摘されました。(参考:鳥飼久美子著『「英語公用語」は何が問題か』角川書店2010)

(注3)文科省はこの「行動計画」の作成によって2003年度に11億100万円(2004年度11億1,700万円)の予算を獲得し、その6割以上を教員研修のために使いました。この点では、この「行動計画」は最低限の役割を果たしたと言えるかもしれません。文科省はたぶんそのように考えているでしょう。ただし、実際に教員の研修を立案し実施する各地方教育委員会が、真に教員の英語力と指導力を高めることに役立つ研修を行っているかは不明です。文科省は専門家を含む第三者による検証をしっかりと行ってほしいものです。