Archive for 7月 27th, 2016

前回は学習指導要領に語彙数を定めることの意味について考えました。今回はそれが学校での指導にどのような意味を持つのか、実際の指導では語彙をどのように扱ったらよいのかを考えます。

最初に「語彙指導」とはどういうことかを考えてみましょう。授業で使う教科書にはいろいろな語が出てきますが、それらを「指導する」とはどういうことでしょうか。高校卒業までに4,000~5,000語を指導すると言っても、それらを受容語彙として(つまり耳で聞いて理解できる、または目で見て理解できるように)指導することなのか、それとも発表語彙として(つまり話したり、書いたりするときに使うことができるように)指導することなのかは不明です。一般に、成人における発表語彙(productive  vocabulary)は、受容語彙(receptive vocabulary)よりもずっと小さいのが普通です(注)。つまり、たいていの語は、まず受容語彙として記憶してから、それを実際に自分で使用することによって、発表語彙に発展します。「語彙指導」というときには、教師は語彙のこれら2つの面を意識的に区別して指導することが必要です。

次に受容語彙と言っても、「耳で聞いて理解できる」というのと「目で見て理解できる」というのでは、特に初期の学習者にとっては、別の技能になるので注意を要します。母語の場合にも、子どもたちにとって、「聞くこと」と「読むこと」を一体化するのは難しい活動です。彼らは小学校で何年もかかってその技能を学びます。英語学習の場合にも、「聞くこと」と「読むこと」を一体化するのは決して容易なことではありません。現在の小学校における英語教育は「聞くこと」と「話すこと」に重点を置いているので、耳で聞いて理解できる語でも、目で見てそれと認知できないのが普通です。そういうわけで、「聞くこと」と「読むこと」を一体化させることは、主として中学校でなされる重要な活動の一つです。そういう活動を十分に行わなかったために、高校で落ちこぼれてしまう生徒のなんと多いことでしょうか!

さて、実際問題として、教科書に出てくるすべての語を記憶させ、それらを受容語彙にすることはほとんど不可能です。またその必要はありません。なぜなら、英語教科書にはレッスンのトピックによって、比較的に頻度の低い専門用語が使われたりするからです。教科書に出てきた単語のすべてを発表語彙にすることなど、考えてはならないことです。英語学習初期においては授業で使われる語彙の大部分が基礎語彙なので、いずれは発表語彙に発展させるべきものですが、それでも、聞いて理解できたものを直ちに発表語彙にさせようなどという指導は無茶なことです。英語学習のどの段階でも、まず受容語彙(つまり、聞いて理解でき、見て理解できる語彙)を増やすように指導することが重要です。それを積み重ねて、高校卒業までに受容語彙が5,000語に達すれば大成功です。

ところで受容語彙が5,000語といっても、語をどうカウントするかによって、実際の語数には大きな違いが出ます。語のカウント方法は大まかに分類すると、次の3つの方式が認められます。

(1)形(綴り字)が違えばすべて別の語として数える。<異なり語方式>

(2)上記(1)のうち、規則的な変化形(名詞の複数形や動詞の規則的な変化形など)は1つの語にまとめる。<見出し語方式>

(3)上記(2)に加え、不規則な変化形や派生語(接頭辞・接尾辞を付加して造られる語)はすべで1語にまとめる。<ワードファミリー方式>

語彙の話をするときには、上記のうちのどのカウント方法によるのかを明確にする必要があります。そうでないと話が食い違ってきます。学習指導要領は以前から上記(2)のカウント方法(見出し語方式)によっています。しかし英米で出版される英英辞書や多読用学習教材の多くは、ワードファミリー方式によっています。ですから、高校卒業までに5,000語を学んだと言っても、語のカウント方法によって、実際の習得語数は大きく違ってきます。ある研究者によると、ワードファミリー方式で数えた3,000語は、約5,000語の見出し語に相当するといいます。そうだとすると、日本の学校で高校まで英語を学んでも、世界の英語の常識では3,000語レベル程度にしか達していないのです。それでも、日本人の英語学習者としてはこのくらいが限度ではないでしょうか。これで英語学習者用の英英辞典(OALDやLDCE)は利用できますし、レベル別多読用教材も3,000語以下のレベルのものなら読めます。真に実用に役立つような語彙の獲得にはまだまだ先があることを知ればよいのです。

文科省は近年、大学に対して、すべて英語で行う授業をしきりに推奨しています。そういう大学には補助金を増やすとまで言っています。そうなると、高校までに見出し語方式で5,000語を学んだといっても、いきなり専門科目の授業では歯が立たないと思われます。多くの授業は専門用語だけを覚えれば理解できるというものではありません。授業についていくためには、少なくとも基本的な語彙は充分にマスターしている必要があります。いちいち知らない単語を辞書で確かめる余裕はないでしょう。ある調査では、英語を母語とする大学生が知っている語(受容語彙)はワードファミリー方式のカウントで約1万7千語と推定しています(注2)。大学での本格的な英語の授業についていくためには、やはり英語母語話者を主体とする大学に留学するなどすることが必要です。文科省が推奨しているTOEFLはそのために作成されたテストですから、留学の意欲を持つ高校生に受験を薦めることが本来の目的にかなっています。

日本人学習者と英語母語話者とのこの大きなギャップを埋めることは、さまざまなレベルの生徒を対象とする普通の学校では望むべくもありませんし、不可能と分かっている目標に挑戦させるのは、無駄な努力を強制するのに等しいことです。その目標の達成は、結局のところ、大学レベルまたはそれ以降の個人の意思と努力に俟つしかありません。高校卒業までに学校でできることは、個人が必要に応じて自力で前途を切り拓くことのできるだけの基礎力を与えることです。基礎力は見出し語方式で5,000語程度(ワードファミリー方式で3,000語)を目指すのが妥当なところではないかと筆者は考えます。

語彙指導で重要なことは、高校段階までは結果だけを問題にするのではなく、学びのプロセスを大切にするように指導することです。特に基礎語彙は多面的に用いられますから、一つの語を習得するのにさまざまな場面での出遭いが必要です。受容語彙を発表語彙に発展させるためには、知っている語を使って文章を作る経験を積み重ねることが必須です。受容語彙は出遭いの経験、発表語彙は使用の経験を積むことです。単語のテストは必要ですが、点数を競うだけのテストはむしろ危険です。生徒がそれによって自分の語彙学習を反省し、それによって自己の学習を改善する資料とすることが重要です。

(注1)望月正道・相澤一美・投野由紀夫『英語語彙の指導マニュアル』(大修館書店2003)は、成人の母語話者を対象とした受容語彙と発表語彙の数量を比較した研究データを紹介しています。それによると、一つの研究ではその比率は5:1、他の一つの研究では4:1となっています。また第二言語としての英語の学習者を対象とした研究では、それが2:1となっています。これらの研究から、一般に、英語母語話者の受容語彙は発表語彙に比べて非常に大きく、第二言語学習者ではその差がずっと小さいと考えられます。

(注2)上記『英語語彙の指導マニュアル』の第1章6節に、Goulden et al.(1990)が英語母語話者の大学生を対象に実施した調査が紹介されています。その結果は、彼らの受容語彙は13,200語から20,700語で、平均は17,200語でした。