Archive for 6月 30th, 2011

「報道の公平性」から見るテレビ画面のこと
(1)司会者は、「ある会合の進行を司る」のは当当然のことですが、公平で適切な進め方というものは、意外と難しいものです。最悪の例は、国会の議事進行に見られます。各委員会の議長は多数党が占めるために、その司会ぶりは、決して公平とは言えません。質問者が、「総理、答えてください」と要求しても、官房長官や他の大臣の答弁を優先的に認めたりします。

(2)プロレスの中継が普通のテレビ番組から消えたのは、レフェリーのあまりにも不公平な審判があったからだと私は思っています。今でもプロレス愛好者は決して少なくないですが、多くの視聴者が離れたのは、不公平な審判に嫌気がさしたからだと思います。特に女子プロレスの凋落は惨めでした。プロ野球中継も、一時は「巨人偏重」で、その結果、今は中継時間が限定されていますし、野球よりもドラマを見たいという人が多くなりました。「奢る平家は久しからず」と始まる「平家物語」は軍記ものですが、「平家の衰亡を予言したもの」という説があります。そうだとしたら、現代でも意味を持つ予言です。

(3)アメリカでは、共和党と民主党の二大政党が長く続いていますから、どちらの支持派に属するかをはっきりさせる人が多いように思います。しかし、比較的にフォーマルで、初対面の人がいる集まりでは、宗教や政治の話は避けるのが常識です。日本文化では、自己主張をしないという風習が強いですから、よけいにこういう話題は避けられてきました。日本のマスコミは、「公平な報道」を“タテマエ”としていますが、例えば、「サンケイ」は右寄り、「朝日」は左寄りといった傾向があることは以前から言われてきました。それなら、いっそのこと“公平な報道”なんていうことは棄ててくれたほうがすっきりすると思います。

(4)増原良彦『タテマエとホンネ—日本的あいまいさを分析』(講談社現代新書、1984)という本があります。この本には、「男女が同じという馬鹿げた主張」という小見出しで、次のような個所があります。
「戦後日本の民主主義は、結局のところ『悪平等』の考え方を日本人のあいだに定着させてしまったのではないだろうか…。私はそう思えてならないのである。—中略— たとえば、学校給食がいい例である。太った子どももいれば、チビもいる。デブとチビでは、必要なカロリーがちがっている。にもかかわらず、画一的な同量を給食しているのが現行の学校給食である。」(p. 174)

(5)著者は、「不必要な差別」には反対すべきである、としながら、「悪平等」の弊害を説いています。30年以上前と現在では、社会情勢も大きく変わってはいますが、日本人はこうした問題提起にもっと真剣に取り組むべきであったと私は考えます。特に最近のテレビ画面を見ていると、視聴者に迎合していて、問題の掘り下げ方がとても浅いと感じるのです。

(6)こんなことでは、外交交渉などうまく出来ないのは当然でしょう。中国のように奸智にたけた国を相手にするには、日本は人が良すぎます。しかも政権与党がしっかりしていなのでは、国民を不幸にするだけだと憂慮に堪えません。(この回終り)

前回に述べたチャンクの話は、英語や日本語の特徴に関連づけることができます。作家・井上ひさしの『日本語教室』(新潮新書)によると、日本人がひと息で発音できる日本語の音節数は12から15までで、これは実験的に裏づけられているそうです。12音節というのは7プラス5ですから、やはり日本人は七五調のリズムがリ基本なのでしょう。俳句や短歌だけでなく、標語などもたいてい七五調です。日本語の詩の多くもそうなるようですね。先日の新聞で知ったのですが、90歳を過ぎて作詩を始め、昨年98歳で出版した詩集「くじけないで」がベストセラーになった、柴田トヨさんという方がおられます。この方が新聞に寄せた詩の最初の部分を紹介しましょう。詩の題名は「手紙—天国の両親に—」です。やはり七五調が基本になっていることがすぐ分かります。

 おとっさん おっかさん / トヨは百歳になりました / 二人が見守っていてくれた / おかげです // 連れあいも そちらに逝って十八年 / 一人暮らしは きついけれど / 多くの人に支えられて / とても幸せ //

 どの行も12音節以内にまとめられ、正確な七五調ではありませんが、5音節と7音節のチャンクが適当に配置されてリズムを作っています。これならば、数回読めば暗記できるでしょう。七五調はきっと日本人のDNAの中に組み込まれているリズムに違いありません。

 では英語はどうでしょうか。英語は七五調とは違い、音節の強弱や弱強のリズムで快いチャンクを作っています。次は筆者が中学生時代に英詩の面白さを知った、ワーズワース(William Wordsworth 1770-1850)の ‘Daffodils’ という有名な詩の第1節です。

 I wander’d lonely as a cloud / That floats on high o’er vales and hills, / When all at once I saw a crowd, / A host of golden daffodils, / Beside the lake, beneath the trees / Fluttering and dancing in the breeze. //

 この詩はほぼ正確に「弱強」のリズムで構成されています。これは英詩によく使われるリズムで、アイアンビック(iambic)と呼ばれています。次のように、強く発音する音節を太字にすると読みやすくなります。

 I wander’d lonely as a cloud / That floats on high o’er vales and hills, / When all at once I saw a crowd, / A host of golden daffodils, / beside the lake, beneath the trees / Fluttering and dancing in the breeze.

 最後の行だけがアイアンビックのリズムを破っているのは、単調さを避けるため、またその最後の行に読者の注目を引いて印象を強めるという、作者の意図があったと思われます。また、たぶん読者は気づかれたと思いますが、各行の末尾の語が押韻されています(cloudとcrowd, hillsとdaffodils, treesとbreeze)。そして各行が一つのチャンクを作っていて、それぞれが8音節で、最後の行だけが9音節となっています。これは「魔法の数7±2」の範囲内なので一口で言いやすく、英語の初心者にもすぐに覚えられます。以上のように、日本語の詩が七五調を基本にしているのに対して、英語の詩は「弱強」(または「強弱」)のリズムを基調にしていると言ってよいでしょう。アイアンビックというのはギリシャ文学の作詩法ですから、おそらく、ギリシャ文学の影響を受けたヨーロッパ圏の広い地域での、詩のリズムの基本になっていると思われます。

 英詩が中学・高校の教科書から消えてしまって久しくなります。まったく消えたわけではなく、ビートルズの歌詞などが載ってはいますが、教室でそれらを英詩として扱うことはなくなってしまいました。英語はコミュニケーションの手段であり、英詩などを扱う時間はないという理由からなのでしょう。しかし英語のリズムを身につけるには英詩が一番です。それらを音読して英語という言葉のリズムを身につけ、作曲の才能のある人は気に入った詩に曲をつけて歌うことができれば、英語は楽しく学ぶことができるでしょう。クワークらの文法書に載っている複雑なセンテンスも、次のように区切ってチャンクにすれば、簡単に理解でき、この文が覚える価値のあるものかどうかは別にして、簡単に覚えられます。

The pretty girl in the corner / who got angry / because you waved to her when you entered / is Mary Smith.

(To be continued.)