Archive for 4月 21st, 2012

貿易商社(4)決別 (NHK(1)の前)

 NHKの受験番号は600番台で試験場では私の後ろにもかなりの人が座っていたから、受験者は千人近かったと思う。採用は若干名だということなので、成功の可能性はゼロに近いと感じた。ところがここでもまた運が味方してくれた。振り返ってみると、このブログに書いて来たように、旧制中学、高等師範学校、静岡県教員採用試験、そして貿易商社さらにNHKと、全ての試験で、実力よりも運が大きく合格に寄与してくれたのである。

 英語を含む筆記試験の顛末は「茅ヶ崎方式英語会」の公式HPに詳しく書いたから興味のある方はそれを読んでいただくとして、面接試験でも人に恵まれた。3人の面接官の中に藤根井さんという人事部長がいた。彼は元政治部記者で、将来の会長と目されている実力者であった。私が面接の椅子に座るとすぐ、藤根井人事部長が「自分の長所と欠点を簡潔に言ってみよ」と問うてきた。私は間髪をいれず「決断は早いが、判断が甘い」と答えた。これは、まぎれもなく、教師廃業、失業を通じての実感であった。あとで報道部長が「藤根井さんが君の答えに感心していた。『決断が早いか遅いかは生まれつきだが、判断は経験によって磨かれていく。決断が遅い奴は記者には向いていない』と言っていた」と教えてくれた。
 
 面接試験のあと、NHKが依頼した調査会社が自宅周辺と、浜松の高校で身辺調査をしたらしい。自宅周辺の調査の内容は大家さんが教えてくれたが家族関係が対象だった。それからしばらくして、あの事件以来関係がギクシャクしていた社長が、話があるというので近くの喫茶店へ同行した。社長はじっと私の顔をみつめていたが、ややあって「君はアカなんだってなあ。俺をだましたわけか」と言った。聞いてみると前日に興信所の調査員が、私のことについて聞きたいと面談を求めてきたので、一旦は断ったところ、前の学校で聞いてきたことを教えるから、現在の状況を教えて欲しいというので話を聞いたというのである。調査員は「前の学校の校長は『あいつはアカだ』と言った。一方、英語科の主任は『そんなことは全くない』と否定したが、本当はどっちなのか知りたいと言っていたという。つまりNHKは思想調査をしていたのである。

 私は今日までいかなる政党にも属したことはないし、自分では、ただの是々非々主義者だと思っているので「何がアカで何が黒だか私は知らないが、大勢に順応しない人間を、そういういいかげんな言葉で社会から抹殺しようとする理不尽なやり方には断固抗議します」と述べて退を立った。私はこれで、この会社にはいられなくなったと思うと同時にNHKも駄目だろうから再び失業することを覚悟した。その上こういうレッテルを貼られては、再就職はほとんど絶望だと思わざるをえず、暗然たる日々が続いていた或る日、NHKから採用通知がきたのである。藤根井さんのバックアップがあったと思わざるをえない。一番喜んでくれたのは父だった。「よかったな」という一言は、昭和の大恐慌時代から戦中・戦後にかけての食糧難時代、下積みの銀行員として、上役に脅されながら、大家族を背負って黙々と働き続けた人間の重い、重い言葉だった。
 
 しかし、社長はNHKの求める退職証明書に判を捺さなかった。折角拾い上げて厚遇してやったのに後足で砂をかけて出て行くのかという思いもあったろうし、丁度英語が必要な大型商談が進行中だったことも事実である。だた、私はもはやここに留まる気はなくなっていた。3週間近くのすったもんだの末ようやく退職を認めさせ、京橋の会社を出て銀座4丁目の四つ角に来た時に服部時計店の大時計が正午を指していたのを憶えている。信号待ちをしながら、温かく自分を迎えてくれ、1年近く親切に接してくれた社員の人達に別れの挨拶をすることもできず、自分だけがよりよいと思われる大企業へ抜け出していく後ろめたさを感じずにいられなかった。(M)

NHK (1) 暗い予感  松山薫

 ようやく手にした退職証明書を持って、当時は日比谷公園近くの内幸町にあったNHK本館の人事部へ出向いた。辞令をもらうと「本給13,600円」とあった。実際には時間外手当や休日、深夜勤務手当てなどを含めて貿易商社の18,000円くらいにはなったが、まさに、N=日本H=薄給K=協会の名にふさわしい給与で、家庭教師分をどこかで稼がないと、家族を養っていけなかった。

 国際局の職場へ案内されると、退職が1ヶ月近く遅れたので、同時に採用された人達は既に皆働いていた。中途採用者は、共同通信やジャパンタイムズの記者、アメリカ大使館の広報担当者などでニュースのド素人(とデスクが言った)は、私だけだったようだ。

 私がNHKの体質に疑問を持ったのは、入局第一日のことだった。国際局報道部のソファに腰掛けてぼんやりしていると、デスクの1人がやって来て「君はKさんの引きだったね」とささやいた。Kさんのいうのは政界にも太い繋がりのある実力者理事で、会長候補の1人だった。私がキョトンとしているとデスクは。「ァ、いいんだ」と言って立ち去っていった。私は何か暗い予感がした。そのうち、国際局にはコネ採用が横行していることが分かって来た。ここを窓口にして、コネ採用し、国内各局へ配置換えしていく例が枚挙にいとまないくらいあった。多くが政治家のコネであったが、当時の郵政省からの天下りもあった。だいたい国際局長というのが郵政省電波管理局長の天下り先だったのである。

 笑い話のようなこともあった。ある朝のTVのニュースショウに出演した文豪が、「うちの○○が、亡くなったKさんの引きでNHKに入ったんだが・・・」とこともなげに語った。Kさんというのは私の場合にデスクが述べたKさんと同じ人で、存命中であった。次の日、キャスターをつとめていたアナウンサーに会ったら「イヤー本当に参りました」と言っていた。しかし、このような事態は笑い事では済まされない。国際局アジア部のアドバイザーをしていた中国文学者の東大教授が部内の機関紙に、「受信料で成り立つNHKは、全ての面で公正でなければならず、卑しくもコネによる採用などがあってはならない」と書いたのである。

 一般論ではあったが明らかに現状に対する警告であった。結局私は、組合運動を通じてNHK経営のこのような体質と対決することになっていった。(M)