Archive for 9月, 2012

(107) <英語との付き合い 33>

追憶 10題(その1)

1. 重い本は売れない?

 同文書院で我々の本を出版してくれることになって、挨拶と打ち合わせを兼ねて同社を訪れた。2代目だという社長は何処かpedanticな感じのする人物で、開口一番「重い本は売れ
ませんよ。」と釘を刺すように言った。内容のことかと思ったら、目方のことだった。この会社のおもな出版物は短大向けのtextなどで、確かに陳列棚に並んでいる本は1cm足らずの薄
い本が多かった。私は「なるべく薄くしましょう」と調子をあわせたが、実は、重厚長大な教本を書くつもりだった。前に述べたように英対話の学習には相当量のinputが必要であるからだ。私が目標としたのは薄い日本の教科書ではなく、voluminousなアメリカの教科書だった。ずっしりと重い原稿を担当編集者の柴田氏に渡した。後は彼が、どう社長を説得してくれるかにかかっていたが、とにかくOKとなった。2代目社長のpedanticな面を突いたの
ではないかと私は想像した。最初に出した4冊の教本シリーズの最後の一冊「時事英語教本対話編」は350ページ、重さはなんと0.5キログラム近くにもなってしまった。しかし、社長の御託宣に反して、この本はある程度売れたらしく、全面改訂版シリーズを出版することになった。その上、季刊教本まで出すというのだから、柴田氏の手腕は、相当なものだと私は感心した。

2. 時事英語とはどんな英語?

 準備編、基礎編、応用編、対話編からなる最初の4教本には“時事英語教本シリーズ“というtitleが付けられた。私は何とか”時事英語“というタイトルを外して、”英対話教本シリーズ”にしたかったのだが、宣伝対策上NO!ということで押し切られた。確かに当時、”英対話”などという言葉はだれも聞いたことがなかったのだからやむをえなかった。しかし、時事英語というのはどんな英語なのか私には理解できなかった。私たちが英対話学習に使う英
語は、現代の標準的な英語であって、何か特殊な英語であるかのように誤解されては困ると思ったのである。例えば、NHKのラジオニュースでアナウンサーが使う日本語は、時事日本語という特殊な日本語なのか。これこそ、標準的な日本語ではないかと私は主張した。英語ニュースも”Write as you speak ! “が原則である以上、多少formalな感じはするかもしれないが、日常の会話や対話で使用してもちっともおかしくない英語であり、むしろ日本人が外国人(native English speakerとは限らない)と話すときは、あまりくだけた英語を使うよりも、多少formalなほうがよいと思っている。そこで、今回は譲歩したものの、何時の日か、”
時事英語“というタイトルを取り払ったシリーズを出版してみせるとひそかに心に誓った。

3. 最後のnews reader

 ニュース専門のアナウンサーをnews readerと呼ぶ。 news readerはTVの普及とともに消えていった。多分、最後の英語のnews readerはABC放送のダニエル・ウェブスターさんだったのではないかと思う。英語のnative speakerは、日本人に多い3音節の名前を読む時、たいてい後ろから二番目(penultimate)を強く読む。.マツヤーマさん、Prime Minister ハトヤーマとなる。彼はニュースを下読みする時、なるべくflatに読むようして、編集者に“OK ?”と確認を求めていた。また、我々が書いたいささかリズムには乗りにくい英文も彼が読むとごく自然に聞こえた。各放送局の合理化で、news readerは間もなく姿を消すことを知っていたので、基礎編の教本を作るとき、ウェブスターさんに音声教材のreadingを依頼した。このカッセトは多分歴史的に貴重なものだと思っている。NHKにも、西澤祥平、大塚利兵衛など立派なニュースアナがいた。ラジオのニューススタジオにはアナブースと副調整室があり、厚いガラスの二重窓で区切られている。副調室正面にある音量計を見ていると、彼らがニュースを読んでいる時は、針は真ん中あたりでピタリと止まって息継ぎの時以外はほとんど動かない。これが、経験の浅い人や雑な人になると、針は左から右まで振れる。私は視力の減退を防ぐため、今はあまりTVを見ないし、ニュースもなるべくラジオで聴いているが、副調室の音量計の針は、振り切れるほどに揺れに揺れているだろうなあと想像することが多い。
(M)

書かれている英語の文章の行間を読み取るところまで深く理解するには、その文章の書き手の持っている知識や思考プロセスをある程度共有する必要があります。そこでは読み手の持っているあらゆる知識と経験が動因されます。そしてそのとき、読み手の習得している母語が大きな役割をはたすことは間違いありません。英文を理解するために1語1語日本語に訳す必要はありませんが、熟考を要する表現などは日本語に訳してみることも有効と思われます。物事を深く考えるときには、人は母語を必要とするからです。ただし思考のレベルでは、どこまでが英語で、どこからが母語で理解されるのかは明確ではありません。母語として使っている言語と、大人になってから習得した言語とは、脳の中で機能的に一体化していているからです。最近の実験結果は、多くのバイリンガルの言語使用は複合的で、脳に内在する二つの言語システムが言語使用のあらゆる場合に活性化されることを示しています。そうだとすると、思考における第二言語の役割は、その言語の習熟が進むほど大きくなると考えられます。

 以上に述べた文章理解のプロセスに対して、翻訳はまったく逆のプロセスをたどります。つまり、英文という一つの言語形式に内包している意味を抽出してそれを理解するのと、理解した意味をきちんとした形の日本語にして表現するのとでは、プロセスの方向が逆になるわけです。これまで述べたような、英文を理解するためにそれを日本語に置き換えること(これをふつう「英文和訳」と呼んでいます)は翻訳とは言えません。翻訳は、出来上がった日本語訳が自然な日本語として読めるものでなくてはなりません。 ‘Naomi has a sister whose name is Yayoi.’ を、「直美はその名が弥生という姉(または妹)を持っています」では翻訳とは言えません。これは逐語訳の一種ですが、自然な日本語からほど遠いものです。だいたい ‘sister’ が姉か妹か分からないようでは、翻訳はできません。英語の1語1語を適当な日本語に置き換え、順序を並べ変えてそれらしい日本語を作っていくプロセスを翻訳だと考えている人があれば、それは大きな誤解です。行方氏によれば、「前者(英文和訳)は基本的に日本人が英文を理解するための補助的な役割を果たすのに対して、翻訳では訳文が日本語として独立して読めることが要求される」(『英語の読み方』175頁)ということです。

 もちろん、翻訳するためには基となる英文の十分な理解を必要とします。しかし原文を十分に理解したからといって、良い翻訳が出来上がるわけではありません。良い翻訳は、原文の完全な意味理解とともに、それを自然な日本語に仕上げることのできるしっかりとした日本語の表現力を必要とします。したがって、それは英文の読解力とは別の技能と言えます。かつて翻訳は言語の4技能とは別の、第5の技能だと言った人がいますが、その通りだと思います。ですから、バイリンガルがすべて良い翻訳家であるとは言えません。英語から日本語への翻訳では、英語の読解能力と日本語の表現力を兼ね備えている必要がありますから、日本語を母語としている人のほうが有利です。現在の日本には非常に多くの翻訳家が活躍していますが、そのほとんどが日本人であることは偶然ではありません。特に文学は言葉の芸術ですから、外国文学の翻訳は簡単ではありません。文学作品の翻訳家は、外国語と日本語の間の文化や表現形式に関して多くの比較研究を行うとともに、自分が潜在的に持っている文学的才能を顕在化する努力を必要とします。

 上記の文章の最後に述べた「自分が潜在的にもっている文学的才能を顕在化する」という点で、英文の翻訳練習は日本語の表現力の向上に役立ちます。すべての人が文章家になるような文学的才能を持ってはいるわけではありませんが、私見では、日本語を母語として習得する過程で文章を読むことに楽しみを見出した人は、詩人や小説家にはなれなくても、人並みの日本語の書き手になる素地はできています。その素地に新しい外国語の肥料を加えることによって、その人の日本語は新しい思考と表現の手段を獲得します。そのようにして、たとえば夏目漱石のような、新しい近代日本文学の担い手が明治期に誕生したのだと私は考えています。私たちは誰もが漱石のようになれるわけではありませんが、英語の基礎が出来上がった中級または上級の段階では、英文の翻訳練習が思考と表現の幅を広げることは確かなことのように思われます。翻訳は外国語学習の初歩の段階ではできるだけ避けるという原則は守らなければなりませんが、3000語レベルの英語が読める段階に達したならば、英文を深く理解する訓練とともに、翻訳練習を学習の中に取り入れることは決して間違ってはいないと思います。そして現在のさまざまなコミュニケーション場面では、翻訳が重要な役割の一端を担っていることも忘れてはなりません。(To be continued.)

はじめに:訂正とお詫び
(1)前回の私のブログには不注意から重要な誤記がありました(一部修正済み)。したがって、いつものような田崎清忠さんによる紹介を保留させてもらいました。誤記の1つは、アメリカの大統領選挙に関して人名に間違いがあったこと(これは田崎さんから指摘されました)。2つ目は、国会の運営経費についてのもので、ブログ仲間の松山さんから指摘されました。ここに読者の方々にお詫びして訂正させて頂きます。「なぜ間違えたのだろう」という疑問をお持ちの方もおられると思いますので、その理由と弁明も書かせてもらいます。

誤記の箇所と弁明:
① 共和党大統領候補者(モンデール→ロムニー);モンデール氏はかつてのアメリカ駐日大使で、民主党の副大統領になった人でした。韓国や中国の大使の問題を調べているうちに、混同してしまったようです。
② 国会運営費(1日1兆円→1日3億円)私は、日本のテレビであるコメンテーターが、「ここ数年間は、政治家がだらしなくて重要なことはほとんど決まらないのに、国会の経費だけでも1兆円になる」と述べていたのが頭にあって混同したものです。
③ 私が「穏健派のロムニー氏」と書いたことについても、「彼はマサチューセッツの州知事時代にも敏腕で知られた人物で、“穏健派”とは言えないのではないか」という指摘がありました。9月30日のTBS ラジオ“Dig” では、「アメリカ大統選挙」をテーマにしていました。論点としては、「共和党はなぜ穏健派のロムニー氏を候補者に選んだのか」をまず挙げていました。共和党の中でも強力な保守派の人たちはロムニー氏への不信感があったので、ロムニー氏は、副大統領候補に若手で超保守派のライアン下院議員を指名して、バランスを取ったとのこと。「アメリカの大統領候補者はよく使う手だ」との説明がありました。

以下は新しいブログ(23)の本編です
「ロンドン・パラリンピック(2012)」で考えたこと
(1)8月のオリンピックで湧いたロンドンが、今度はパラリンピックで湧いています(8月22日~9月11日)。私はパラリンピックについては、「オリンピックの後で行われる身体障害者のスポーツ大会」くらいの認識しかありませんでした。報道をいろいろ見たり聞いたりしていると、その程度の認識では甘いことを知りました。

(2)何よりも感銘を受けるのは、選手たちのファイト満々の明るさです。障害者になった理由は様々なようですが、とにかく、“生きることへの努力と意欲”には頭が下がります。開会式の様子は、NHK の教育テレビで放映されましたが、会場はオリンピックに勝るとも劣らない熱のこもった声援で一杯でした。ただし、日本の関係者からの報告には、「日本人の関心はかなり低いのではないか」というコメントがあったのが気になりました。種目によっては、日の丸の旗も結構目立ちますが。

(3)8月のTBS テレビ「朝ズバッ!」では、司会者のみの・もんたが、「私も反省しているのだが、日本ではパラリンピックに関するマスコミの取り上げ方が十分ではない」と言っていました。この司会者は、若いリポーターには叱るような口をきいたり、スタッフが“時の人”を出演させると自分の手柄のように自慢したりしますから、私は好きになれないのですが、今回の発言には同意できました。

(4)私たちが身障者について無関心過ぎるということで、日本のテレビで見た場面を思い出しました。それは東京の表玄関と言われるJR 東京駅(丸の内側)の自転車の放置場面です。もちろん「自転車放置禁止」の注意はあるのですが、無視する利用者が多いのです。テレビ局のアナウンサーが、「ここは駐輪禁止ということをご存知ですか」とマイクを向けると、「すぐに戻りますから」と言って、走り去ってしまうのです。「悪いことだ」とは知っているようですが、視覚障害者誘導用ブロックの上でも、平気で自転車を置いているのです。

(6)なぜ自転車利用者が近年になって急増したかについては、「震災などの場合に帰宅困難者になることを恐れて、買い物先や勤務先に近いところまで自転車を利用する人が増えたため」とのことでした。この周辺は土地代が高くて、千代田区では駐輪場を増設する余裕が無いとのことです。災害に備えることは大切ですが、「自分だけ助かればよい」といった気持ちでは、いずれ私たちは全滅してしまうでしょう。日本人はどうしてこうも道徳意識が低くなってしまったのでしょうか。

(7)東日本大震災の被災地や被害者たちは未だに、大変に困った状況にあります。政府も予算不足で打つ手がありません。それにしても、億単位で集まったはずの義援金はどこへ行ってしまったのでしょうか。東京電力に請求出来るような費用はそこから立て替えたらよいと思うのです。日本赤十字に電話したら、「ホームページで報告しています」との返事でしたが、私にはどうもその報告が見つけられません。お分かりの方は教えてくれませんか。

(8)それにしても、今の政治家たちは、何を考えているのでしょうか。もめごとばかりやっているので、今度総選挙が行われても、棄権する人が多くなるでしょう。そうなれば、わずかな得票数で当選する政治家ばかりになってしまうであろうと、暗澹たる気持ちになります。(この回終り)

(106)< 英語との付き合い−31  > 

< 教材こそ命 >

茅ケ崎自由大学での実証実験で確認できた結論は、「教材こそ命」ということだった。

前々回述べたように我々の学習教材の作成者は、私自身を含め、
1.報道された周知の事実を、
2.基本4千語のうち、各段階に割り当てられた語彙のみを用い、
3.ラジオ英語ニュースのスタイルで、5つのparagraph(150語前後)の教材に組み上げるという原則を厳守しなければならない。

1. 報道された周知の事実

   ニュースは新しくなければニュースではないから、報道されてから一日たてば、歴史上の事実の一こまとなる。教材となって学習者の前に現れるのはさらに何日も後になる。それでよいのである。いや、それだからよいと言える。そのかわり、周知の事実でなければならない。つまり、数日で忘れ去られるようなネタでは駄目なのである。その事実が学習者の頭のどこかに残っていなければならない。
   これは、私たちが英文記者として一人前になっていく過程で誰もが体験したことを教材の作成に応用したのである。私たちは、朝勤の場合は午前7時、夜勤の場合は正午、深夜勤の場合は夜7時のNHKニュースを聞いてから出勤する。出勤すると直ぐ、編集デスクにある放送用原稿を読む。なるほどこう書くのかと納得する。次に、出稿デスクにあるデスクとリライターが手を入れた“赤字原稿”を見る。ああ、やっぱりここを直されているなと会得する。つまり、既に知っている事実を英語ではどう表現するのかを学ぶのである。これが言葉を事柄に結びつけることにつながる。

 2.各段階に割り当てられた語彙を繰り返し用いる。

   4000語を使用語化するためには、どうしてもかなりのrepetitionが必要なので、これらの語を出来るだけ多く教材の中に盛りこまねばならない。だが、4000語の中には学校では全くお目にかかったことのないような語もかなり含まれている。最初から、assassinateなどという聞きなれない単語が出てきたのでは、そこで学習意欲が途切れてしまうだろう。それで、4000語を段階的に振り分けた。現在使用している教本では次のようになっている。
  
教本 使用語彙数      内容
1 BOOK-0前編 250 中学校の教科書に使われている語
                  中心
2 BOOK-0後編 500 同上(BOOK-0の250語+250語)
3 BOOK-1 1000 同上+ニュースに使用される基本
                  用語
4 BOOK-2 2000 同上+政治・経済・貿易・外交・安保                の基本用語
5 BOOK-3 3000 残り2000語のうち半分
6 BOOK-4 4000 4000語全部
7 BOOK-5 4000 writingの中心になる動詞500語を多
                  用
  
  * 各段階の教材では割り当てられた語彙以外の語を使っ
     てはならない。
* 教本の作成にあったては、1つの用例に最低3つの該当語
    を使用する。
* 学習用週刊教材には、同日の教本の予習範囲の語彙か
   ら、できるだけ多くの語を使用するとともに、教本で予習
   済みのlistening comprehension testにある構文やsyntax
   と同じ構文、syntaxを最低1回使用する。

3.ラジオ英語ニュースのstyleで書く。

 ラジオのニュースは、聞きながらすぐ理解できなければならない。分からなければ読み直すことの出来る新聞のニュースや、写真の助けをかりるTVニュースの説明とは根本的に異なる。つまり、英対話のoutputには最適なのである。それに、ラジオ英語ニュースの第一の原則はWrite as you speak ! だから、そのまま英対話のoutputに使える。これが、教材にラジオ英語ニュースの英語を使用する理由である。
ラジオのニュースは、認識機能を耳だけに頼るので、1分経つと前のほうの記憶があいまいになることが実験の結果確かめられている。したがって、one itemの長さは、なるべく1分以内が望ましい。人によって若干異なるが、1分でプロのアナウンサーは150 words前後を読む。また、150wordsを5つに分ける場合、30wordsずつ均等にするとmonotonousになる。聴きやすくするために、one sentence, one thoughtが原則であるが、30wordsは、one sentenceとしては語数が多すぎる場合がある。そこで、five paragraphs とする。
世界の放送局は、どこも新人記者研修用にradio news style bookを持っており、BBCのstyle bookなどは厚さが2センチくらいもあるから、英文ラジオニュースの文体に習熟するには一定の努力が必要である。特に、英字新聞のwritten styleに引きずられないことが肝要である。

4.リスニングの困難点の克服

このような厳しいいくつもの“縛り”の中で教材を作成することは、作成者には大きな負担となる。しかし、作成者が苦労すればするほど、学習者は効率的に効果をあげられるのである。学習教材が、所期の効果を挙げることができたかどうかを把握するため、学習会では、学習者に教材の5つのparaについて、そねぞれ○(5点)、△(3点)、×(0点)で自己採点(無記名)して提出してもらい、学習会の後直ちに集計して、教材作成者およびinstructorの自己反省の資料とする。クラス平均が所定の点数に達しない場合は、教材作成者とinstructorの責任であると自覚し、① 語彙の習得 ② スピードへの対応力 ③ 統語法の知識 ④ 背景知識の有無 ⑤ 類推力の強弱 の5点から成績を分析し、その後の教材作成や学習会でのサポートに当たって、いずれの点をどう改善すべきかを考える。

 後年、教材作成者の中には、満足なものがなかなか書けず、あまりの苦しさに、涙を流し、家人に気づかれないように、サングラスをかけて寝た、とか、深夜月に向かって吠えているとかいう話が私の耳にも入ったが、絶対に原則は守ってもらった。私自身、時間の制約もあって、これで満足という教材を書けたことは一度もない。しかし、少しでもよい教材をと届けたいという思いをなくしたら、この学習会は存在価値を失う。まさに、教材こそがこの学習会の生命線なのだ。

それゆえに、「教材こそ命だ!」「命だ!」「命だ!」と30年間叫び続けてきたのである。(M)