Archive for 9月 15th, 2012

「勝負の時」について考えること
(1)“勝負”と言えば、大相撲が熱戦を繰り広げています。大関3人が怪我で休場してしまったのは感心出来ませんが、それよりも私が気になるのは、中継担当のNHK アナウンサーの言い方です。解説者の親方に対して、「今場所は日馬富士が横綱になれるかどうかが焦点ですが、親方はこの3日間の相撲ぶりをご覧になって、その可能性をどう思われますか」のように、予測を強要するのです。親方は、「まだ2日や3日では何とも言えんですよ」と不快感をにじませていました。こんな質問は止めて欲しいと思います。

(3)国家間の外交交渉などは、常に“勝負時”があるものです。野田総理は、石原都知事が早くから、尖閣諸島を買い占めることを発言し、行動もしていたのですから、すぐにでも総理官邸に呼んで、話し合いをすべきだったと思います。それをしないで、島の所有者と直接交渉を始めるなんてどうも理解出来ません。その経過は、中国側にはすべて筒抜けですから、交渉にも何もならないのです。

(4)様々な受験も“勝負”とみなしてよいでしょう。その結果は本人にも周囲の人たちにも大きな関心事です。2012年9月12日の読売新聞は、一面のトップに、「司法試験 予備試験組7割合格 法科大学院2割止まり」と報じていました。司法試験の仕組みについては、解説記事も載せていましたが、要するに、大学院までいかなくても、法学部生や学部卒業生が司法試験を受けられる制度です。その成績が、法科大学院よりも合格率が高いというのですから、「どうしてなのだろう?」という疑問が湧きます。

(4)学校行政については、文科省の見通しの甘い、行きあたりばったりの方針が問題だと私は思います。20年ほど前には、少子化で受験生が減ることが見えていたのに、私立大学の設立申請を次々と許可しました。現在は欠員のある大学が多く、日本橋学館大学(千葉県柏市)などは廃校にすることに決めたために大騒ぎになり、それは民放のテレビでも報じられました。学校は在学生を卒業させなければならないので、簡単に「今日で廃校にします」とは言えないのです。

(5)今朝(2012年9月22日)のNHK のテレビでは、宮城県の被災地の問題を取り上げていました。市街地がどうにか整理されて、何軒かの店が店主たちの懸命の努力でやっと開店できたのですが、そこへ市当局から道路を拡張する計画が示されて、ある薬屋の主人は、「移転しろということになったら、廃業するよりない」と嘆いていました。正に勝負の時に水を差された感じです。

(6)家が建ってから道路を拡げるという話は、被災地に限らず、これまでもいたるところであった話です。役人はある部署で仕事をするのは長くて4,5年ですから、将来の見通しなど全く持っていないわけです。しかも、「先輩の残した計画は実施しないとその先輩の落ち度になる」ということで、現状はどうであろうと計画を変更しようとしないのです。そのために、日本中いたるところで、住民とのとのトラブルが生じているようです。

(7)素人政治家の多かった民主党が、そんな役人にうまく牛耳られてしまった結末は国民が経験したばかりです。この点では、自民党の党首選立候補者たちも同様だと私は思います。今は自信満々に、「私が当選すれば日本を完全に立ち直らせてみせます」と主張していますが、官僚組織の崩壊を見る日はいつ来るのでしょうか。候補者の当落よりも、私はこのことのほうが気になります。(この回終り)

追憶—10話−(2)

4. 連想記憶法

 戦後しばらくして神田神保町の古書店街を歩いていると、よく東大の角帽を被った偽学生が路地の奥で露店を開いて本を売っていた。連想記憶術を教える本で、この技術( mnemonics )を会得すれば英語の単語などは面白いように憶えられるというのである。偽学生は、客たちに路地の奥から大通りを走る路面電車の4桁の車体番号を読ませて、大きな紙に書いていく。30台分ほど書き取ったところで紙を頭上に掲げ、客のほうを見ながら数字を大声で諳んじる。全く間違わないので客の中から嘆声がもれ、「さあ1冊50円、買った買った!」と呼ばわると方々から手が伸び、何回目かに私もとうとう誘惑に負けた。帰宅して読んでみると、中身はたわいのないもので、”単語を自宅の家具と結び付けて憶える”などと書いてあったが、全く実用にならなかった。ただ、mnemonicsそのものには、利点があるように思う。学習会を始めたばかりの頃、最初に参加者のレベルを知るために、用語集の中から100語を選んでテストをした。なかにassassinate(暗殺する)という語を入れておくと正答率はいつも数%以下であった。そこで、1期6ヶ月、20回の学習会の終わりにもう一度同じテストをすると、この語の正答率だけはいつもほぼ100%になった。それは多分、「assassinateは『朝死ね』と憶えると忘れないよ」と言っておいたからだろう。

5.「過去は過去として、小異を捨てて大同につく」

 これは、日中国交正常化の際の、周恩来首相の歴史的な発言である。個人的にも私の好きな言葉だ。国交正常化の調印式の後、人民大会堂での晩餐会の日中両国代表の演説を北京
からの入り中(スタジオへの生中継)で取材することになり、石川啓一デスクが田中首相を、周恩来首相を私が担当することになった。田中首相の演説を聴いていて、「両国は一衣帯水の間柄にして・・・」さて英語の原稿ではどう表現するのかななどと思っているうちに私の出番が来た。そして出てきたのが「過去は過去として・・・」というくだりである。タイプを打つ私の手が一瞬止まったのを見て、石川デスクが、直ぐ紙に何か書いて渡してくれた。そこにはエッピツで“ Let bygones be bygones ・・・”と走り書きされていた。助かった。石川さんは私と同じ時にNHKに入り、年齢は私よりひとつ下だったが、英語力でははるかに上だった。英語ニュース班の総括デスクをつとめていた50代の半ばに、膵臓ガンに侵されてしまった。訃報を受けた日、私は一人で引越ししたばかりの事務所の整理をしていた。見舞いのたびに衰えていく様子を見ていたので、覚悟はしていたが、突然の電話に思わず立ち上がった。暮れなずむ国道一号線を行き交う車のヘッドライトを見るともなく眺めながら、しばらくは受話器を持ったまま立ち尽くしていたらしい。電話局からのジージーという呼び出し音で我に返った。英語会の仲間のうちでも飛びぬけて英語力があり、大きな後ろ盾だっただけに、56歳での若すぎる死はショックだった。

6.イラワジ川の光る石

 学習会の参加者には高齢の方も多かったが、中でも熱心に通ってくる60代のSさんという白髪の男性が時々質問に見えるので、ある時「何か目的があって英語を勉強しておられるのですか」と訊ねてみた。Sさんの話は衝撃的だった。「インパール作戦は御存知ですか?」「はい、一応は知っています。」インパール作戦は太平洋戦争の末期、日本軍が中国への連合軍の補給路を絶とうとビルマ・インド国境地帯でイギリス軍と交えた戦闘である。この無謀な作戦で、参加した日本軍8万5千人の内90%近い7万3千人が帰らず、日本軍が敗走した死屍累々の山岳道路は“白骨街道”と呼ばれた。Sさんの話「私たちはイラワジ川の河畔で毎年戦友の慰霊祭をしています。イラワジ川の河畔に立つと、太陽にキラキラと輝く白い小さな石があちこちに転がっています。それが上流から流れ砕かれ丸くなった戦友たちの遺骨です。現地の人達はそれを拾って集めておいてくれるのです。私は、どうしても、英語で現地の人達に直接、感謝の思いを伝えたいと思って勉強しています。」 (M)