Archive for 9月 29th, 2012

〔113〕英語との付き合いー39

追憶 ⑩ 綱島分校での出会い

 茅ヶ崎方式英語会を設立して間もなく、初めての分校を東横線綱島駅近くの毎日スイミングスクールの中に開設することになった。子供の頃から水泳が好きで、近所の多摩川で泳い
で以来、蛙泳ぎと自己流のクロールであちこちの海やプールで泳いでいたが、いつかきちんとした泳ぎを身につけたいというのが長年の夢だった。NHKが渋谷に移ってからも、目の前のオリンピックブールで職場の仲間と泳いでいたが、ある時、石川デスクが、多分日本で初めての大人のためのスイミングスクールが出来ると聞き込んできて、早速二人で赤坂の紀尾井町にあった事務所へ申し込みに行ったところ、なんと私たちが最初の入会者だった。

 スイミングスクールは子供のものというのが常識の時代に、水泳はきっと成人にも広がるという岡田亘代表(元オリンピック強化選手候補)の着想は見事に的中した。 毎日スイミングスクールは数年のうちに会員1万人を超え、ハワイのオワフ島にも支部を持つ有数のスポーツクラブに成長して、綱島にインドアテニスコートとプールを備えた6階建ての本拠地を建設したのである。

 岡田さんは、私たちが最初の会員として、NHKの連中を次々にクラブへ送り込んだことをよく憶えていて、恩返しだと言って、この建物の一室を無料で我々の学習会に貸してくれた。綱島分校はスポーツクラブの会員やスタッフで直ぐ30人ほどの参加者が集まり、石川、高橋両氏が面倒を見てくれることになった。私は月に1~2回顔を出すだけだったが、それが貴重な出会いの場となった。会員の中には大変有能な人が多く、後年、綱島分校出身の3人が茅ヶ崎方式英語会の屋台骨を背負う存在になってくれたのである。

 岡田さんはまた、自分の体験に基づいて、我々の学習会の運営についていろいろアドバイスしてくれたが、個人的にも「松山さんは最初の会員だから」と言って、紀尾井町や綱島のプールで、いつでも好きな時にタダで泳いでよいという特権を与えてくれた。そこで、夜勤の前に泳ぎに行くと、ひと気のないプールで岡田さんが泳いでいることが多かった。私を待っていたように「今日は千(メートル)行きましょう」とか「千5百行きましょう」と言って一緒に泳ぐよう促すのである。彼は何も言わなかったが、私が希望欄に「本格的な泳ぎを身につけたい」と記入した入会届けを見ていたのではないかと思う。

”陸上カバ”とあだ名されるほど太っていたとはいっても、元五輪選手候補について泳ぐのは、私にとっては死に物狂いだった。岡田さんはちゃんとタイムをとっていて「ナガアシの進歩だ」などと褒めてくれた。やがて岡田さんに何とかついて行けるようになった時、私の泳ぎは本物になったのだと思う。価値ある技術を身につけようとすれば、「継続は力」は鉄則だが、一時期集中的に努力することも必要ではないかと思う。そのようにして苦しみながら身につけた技術、いわば”泣きの入った技術“は、生涯の宝物になる。岡田さんはいささか強引な経営と無理がたたって、50代の若さで突然世を去り、クラブも人手に渡ってしまった。

 戦中・戦後の栄養失調で、血管が細くてもろいから長生きは無理と医師にほのめかされていた私が、80歳を過ぎる今日まで生きながらえることができたのは、生活の一部となった水泳のおかげだと思っている。そしてそれは、岡田さんという風雲児との出会いの賜物であった。(M)