Archive for 1月 30th, 2014

「英語の賢い学び方」のシリーズの最初に聖書のことば(エペソ5:15-16)を引き、その中の「今は悪い時代なのだから」という一句に読者の注意をうながしました。実際に、私たちの英語学習にもこのことばがそのまま通用します。英語を学ぶ者にとって、今はまことに悪い時代です。ここでは今がどのように悪い時代なのかを認識し、それにどう対処して賢い学びを続けることができるかを考えます。

これまで幾度も繰り返したように、学校の授業に真面目に出席し、先生の指示に従って教科書を学んだだけでは英語を自由に使えるようにはなりません。せいぜい英語という言語の構造がどのようになっているのかを知り、2,000か3,000の単語を覚えるところまでです。実用的な価値としては、英字新聞の見出しや、外国製品に書いてあるレシピや注意書きを、辞書を引いてかろうじて意味が取れるくらいのところでしょう。ネイティブ・スピーカーの言語使用能力など、及びもつきません。この現実を筆者は全面的に肯定するわけではありませんし、改善の余地は多く残されています。しかし基本的にはそういうことなのです。

まず、英語は日本人にとって外国語なのですから、この現実は当然のこととして受け入れるべきです。そこから始めなければ改善は望めません。私たちは日本に住んでいる限り、日本語だけでほとんど何も不自由しません。大学の講義も、特別な科目を除いてほとんどの科目が日本語でなされ、多くの学科は卒業までそれですませることができます。最先端の科学でさえもほぼ日本語で学ぶことができます。自分たちの母語でこのようなことができる国は世界には多くはないのですから、これは誇ってよいことなのです。

しかし世の中の多くの人々はそのようには考えません。英語を何年も学んだのに全然使い物にならないのは、学校教育のせいだと考えるのです。特に、外国との交渉を常に必要とする経済界の人たちの声が大きいようです。日本の英語教育をなんとかしなければ国は潰れてしまう、と政府に圧力をかけます。それが学習指導要領の「コミュニケーション」のための英語教育や、小学校への英語教育の導入となって現れているわけです。国民の大部分を占める普通の日本人にとっては、これは迷惑千万な事態です。

たしかに、日本はこれまでよりも多くの英語の使い手を必要としています。しかしそれは、外国語としての英語教育では対応しきれないものです。そういう英語の使い手を国内の学校教育で育成するのは困難なのです。そのような人はどこかの段階で留学して、第2言語としての英語を身につける必要があります。近年、そのような目的で高校や大学レベルで英語に堪能な国際人を育てる教育機関が日本でも設立しつつあります。それはそれで結構なことです。ただし、そういう人は国民の一部、おそらく全人口の数パーセントでしょう。

このような事態で文科省がなすべきことは、見込みのある留学希望者に経済的補助をして、彼らがお金の心配をしないで学べる環境を整えることです。かつて英語教育に論争をもたたした「平泉試案」には、英語のネイティブ・スピーカーと対等に議論ができるだけの英語力を身につけた日本人は、国民の5%でよいと書いてありました。当時はそのくらいでよかったのかもしれませんが、あれから40年後の今日ではその数はずっと増えているでしょう。いずれにしろ、その数は国民の一部です。その人たちを特にエリートと呼ぶ必要はありません。彼らは英語が得意で、将来それを使ってキャリアを積み上げたいと考えている人たちなのです。

ではその人たちを除いた90%くらいの一般学習者はどうしたらよいでしょうか。教育行政はそういう学習者のことを第一に考えるべきなのに、それは財界や文科省の視野には入っていないようです。最近の学習指導要領がそのことを端的に表わしています。その考え方は、大部分の生徒を犠牲にしても、数パーセントのエリートを選別しようとする教育です。文科省は公式にはそれを否定するでしょうが、学習指導要領をじっくり読むと、その意図が透けて見えます。この事態が現在の英語教育に混乱をもたらしているのです。

こういう混乱した学習環境の中で英語を学ぶ一般の生徒たちは警戒しなくてはなりません。「今は悪い時代」なのですから。そういう悪い時代に生きるものとして各自が考え、自分に与えられた時間を賢く利用することが必要なのです。