Archive for 7月 18th, 2012

英語学習と「訳」(9)

Author: 土屋澄男

バイリンガルの「等位型」と「複合型」の区別に関して、筆者は以前次のように述べました。「比較的に単純な<等位型>は習得の過程ではあり得るのかもしれないが、習熟した段階では二つの言語は複雑に絡み合っているらしい」と。これは筆者の個人的経験に基づく推論で、科学的に証明されているわけではありません。個人のバイリンガルの脳の中でそれぞれの言語が別々に存在するのか、それとも重なりあったり混ざりあったりして存在するのかは、今のところ実験によって完全に証明されてはいないからです。しかしこの問題はおもしろい話題をいろいろ提供してくれますので、ここでもう少し考えることにします。

 「等位型バイリンガリズム」というのは、バイリンガルの脳の中に二つの言語を処理する別々のシステムが存在すること、つまり一方に一つの言語を処理するシステムがあり、もう一方で他の言語を処理する別のシステムがあるということです。これは、0歳から3歳くらいの早い段階で同時に二つの言語を習得するような場合(「同時バイリンガリズム」)にはありそうなことです。たとえば日本に住んでいる夫婦で夫がアメリカ人、妻が日本人の場合、生まれてきた子どもに夫は一貫して英語で話し、妻は一貫して日本語で話すという家庭環境では、子どもが学校に行く頃までに二つの言語を同時に習得する可能性があります。この場合どちらが第一言語で、どちらが第二言語であるかが判然としないこともあり得ると思います。

 かつて筆者が懇意にしていた家族に、そうして育ったバイリンガルの娘さんがいました。彼女は父親がアメリカ人宣教師、母親が日本人で、日本で育ちました。日本の公立小学校を卒業したあと、中学校からアメリカに渡ってアメリカ人の親戚の家からハイスクール(中学・高校)に通うようになり、夏休みに日本に帰って来ました。彼女はアメリカでは日本語をほとんど使っていなかったようですが、日本に帰ってくると、英語と日本語を適宜に切り替えて話しました。時には英語のセンテンスの途中から日本語になったり、日本語から英語になったりしました。その時の様子を見ていて、この娘さんは日本語と英語のコードが時々切り替わるようだと感じたものでした。しかも本人は今どちらの言語を使っているかをほとんど意識していない(つまり自動的になされる)ように見えました。相手によって、場面によって、あるいは同じ場面の同じ相手であってもたぶん何かの理由で、言語コードが自動的に切り替わるという感じでした。このような「コード切り替え」(code-switching)についてはバイリンガリズム研究でも取り上げられていて、どういう場合にどういう目的でコードが切り替えられるかの研究もすでになされています(例Hoffman 1991)。

 「コード切り替え」に関連して、筆者の経験したケースをお話します。かつてアムステルダムを訪れた際に、一日観光バスに乗りました。そのバスの女性ガイドは5か国語(オランダ語、ドイツ語、フランス語、イギリス語、イタリア語)でガイドしました。彼女は筆者の質問に対して、自分のようなバスガイドはオランダでは珍しくないと言いました。都市に住んでいるオランダ人は幼い頃からそれらの言語に接する機会が多く、自然にバイリンガルまたはマルティリンガルになるケースが多いようです。そのよう多言語社会で育った人たちは、幼いときから自然に複数の話し言葉に接し、それらの言語の基本的特徴を身につけますので、その後にそれぞれの言語を意識的に区別して使い分けるように教育を受ければ、ある程度の努力で多言語話者になるというわけです。しかしそういう人たちの多言語使用はバイリンガルの場合よりもいっそう複雑で、「等位型」なのか「複合型」なのかを問うこと自体が無意味であるかもしれません。

 そこで、ここからは「複合的バイリンガリズム」の話になります。これは、バイリンガルの脳の中に存在するのは単一の言語システムであり、それが二つの言語に共通して使用されるという仮説です。しかしこのモデルは単純すぎます。筆者はさらに、成熟したバイリンガルにおいては、AとBの二つの言語システムが脳の中に構成され、それらが複雑に絡み合い、一つの包括的なスーパーシステムによってコントロールされ、AとBのどちらの言語を用いる際にもシステム全体が活性化されるというモデルを仮定します。このことはすでに実験的にその可能性が示されています。以前にもふれましたが、成熟したバイリンガルの言語処理においては、あらゆる場合に(一つの言語しか用いていない場合にも)二つの言語システムを処理しているのと同じ処理機能が働いていることが分かっています(Bialystok et al. 2009)。これは多言語使用者の新しいモデルを示唆する重要な発見です。このラインに沿って、私たちの英語学習を見てみましょう。(To be continued.)