Archive for 7月 21st, 2012

“ボタンの掛け違い”の話
(1)このところ、最初ボタンを掛け違ってその結果として大事になる事件が多いようです。滋賀県大津市の中学生が自殺に追い込まれて、「いじめがあったのではないか」という疑問に教育員会も学校も「そんなことはない」としらばくれたために、県警が教育委員会や中学校に家宅捜索に入るという前代未聞の大事件になってしまいました。その後遺族に訴えられて、大津市は示談に応じるような姿勢を見せ始めましたが、後の祭りでしょう。

(2)私の限られた経験ですが、戦前から小学6年生くらいになると、“いじめっ子”と呼ばれる生徒が数名いて、下級生たちはとても怖がったものです。しかし、彼等には子どもながらに“仁義”があって、先生には従順でした。ですから、下級生が6年生にいじめられたと先生に訴えれば、先生はすぐにその6年生を探し出して叱ってくれたのです。それでも下級生たちはなるべくそういう上級生を避けるようにしていました。

(4)ところで、東京電力は、「電気料金を値上げするのは会社の権利だ」などと言っていましたが、さすがに政府もすぐには値上げを認めませんでした。最近の決定では8.5%程度で収まるようですが、庶民にとっては辛い数字です。なにしろ政府にしても、東京電力の示すデータしか資料の持ち合わせがないのですから相手の言うことを信じるよりないのです。最初にボタンを掛け違えても、最後は何とか辻褄を合せてしまうという異例の事態です。

(5)“ボタンの掛け違い”の見本のような実例は野田首相でしょう。小沢一郎や鳩山由紀夫が、あからさまに消費税増税に反対を表明していたのに、話し合いや説得を後回しにして、自民党や公明党と与野党合議を進めてしまったのです。そのために離党者が次々と出て、自分の身さえ危なくなってしまいました。この人物は、「敵でも味方でも話し合えば理解してもらえる」と信じているバカなほどのお人好しか、または、国民の期待の裏をかく策士なのでしょう。いずれにしても、浮かばれないのは庶民です。

(6)鳩山由紀夫と言えば、この人ほど物事の順序をわきまえない人物も珍しいですね。のほほんと育った良家のお坊ちゃんでしょうから無理も無いですが、今度は原発再起動反対のデモ隊に参加して激励したりしています。政治家の行動としては許されることですが、離党もしないで自分の党に反対する行動は不可解です。沖縄の基地問題で世論を混乱させたことで党代表を辞めた責任などとうの昔に忘れてしまっているのでしょう。

(7)こんな人物が党内にいても、優柔不断な野田首相は決着をつけようとしません。最近の各社の世論調査では、「支持する政党はない」とする無党派層が急増しているようです。総選挙があっても投票しない人たちが増えたのでは、選挙の意味も無くなります。これこそ日本の最大の危機だと思います。(この回終り)

(100)< 原発をめぐる国民的議論について>

  ”脱原発”か”原発維持か”をめぐって、政府主催のいわゆる国民的議論が始まった。これは、政府が、来月末にも長期エネルギー政策の改定を発表するのに先立ち、政府が示した2030年における原子力発電の割合の3選択肢について、国民の意見を聴くというプロセスである。しかし、期間があまりにも短いこと、3選択肢方式の是非やその内容の決め方、意見集約の方法とその取り扱いなどに問題があるとして、政府の決定に民意の衣をまとわせるための ”やらせ“ あるいは ”ガス抜き“ ではないかという批判が噴出している。
  
 まず、期間が短いことについて、古川国家戦略担当相は、原発論議は昨年3月の原発事故以来続いており、今回は締めくくりの意味での議論をお願いするもので、全体を通してみれば短くないと反論している。しかし、これはおかしな論理だ。政府が3選択肢を決定したのは6月末のことであり、これについての意見を訊くのであれば、期間は1月ほどしかない。社会のあり方に重大な影響のある選択について、本当に国民の意見を汲み取る意志があるのかどうか疑われても仕方ない。

  次に、選択肢を0%。15%。20~25%に絞って意見を訊くという方式についても疑問が投げかけられている。この“国民的議論”のプロセスが始まったのに合わせて、NHKは7月14日(土)「どうする日本のエネルギー 脱原発か原発維持か」と題する討論番組を放送した。番組の冒頭で、NHKがあらかじめ依頼したというモニターによる、3選択肢の選択状況が、それぞれ51%、30%、16%、わからない 3% であったことが報告された。その後、参加した有識者や一般聴取者によるおよそ1時間の討論が行なわれ、これを聞いた後でのモニターの判断が、44%、35%、17%、4%に変ったことが明らかにされた。単純に考えると、原発エネルギー0%の意見の人のうち5%が、15%説へ、1%が20~25%説へ、1%がわからないへ流れたことになる。

 NHKがこのようなモニター調査を行なったのは、政府が8月初旬に実施予定の討論型世論調査を意識してのことだと思われる。難しい問題について3選択肢を示して判断を問えば、極論を避けるという心理が働いて、真ん中の選択肢に回答が集まりやすいのは当然である。したがって、このプロセスは、もともと、野田政権が考えている落としどころ15%へ世論を誘導する仕組みであると疑われても仕方ないだろう。盛夏の電力不足が心配される時期に意見を聞くことにも、当然疑問が出ている。3選択肢の間で判断が揺れる最大の要因が電力需給の見通しにあるからだ。であれば、判断を求める前に、電力不足が本当に起きるのかどうかを徹底的に論議すべきだろう。

 さらに、3選択肢の内容について、経済界から経済成長率と電力使用想定量との整合性がないという批判がでている。15%という選択肢は、老朽原発を当初の指針である40年で廃炉にしていけば、何もしなくても達成できる数字なのである。従って、15%という政府の落しどころでは、成長率は現状の1%程度に留まり、年2%という政府の経済成長率見通しを達成しようとすれば、この指針を完全に反故にするか、原発を新設しなければ整合性はない。

 ところで、実際に意見聴取会が始まってみると、電力会社の意見を代弁する発言者が相次ぎ、参加者から”やらせ“ではないかという疑問の声が挙がった。この会合の企画は、政府が大手広告代理店に依頼したということだが、政府のチェック機能が全く働いていないのでは、税金を使った茶番劇である。だいたい「原発を止めたままでは日本の社会は成り立たない」と公言している首相の政府が、0%の選択肢を国民に議論してくれというのは、脱原発派にも一応顔を立てて“ガス抜き”をした上、何とか、落しどころで現状を切ぬけたいという魂胆が見え見えで、国民を馬鹿にした話であると取られてもしかたないだろう。そのうえ、こうしたいい加減な意見集約の結果をどのように、エネルギー改定の決定に反映させるのかも明らかにされていないのだから, ”国民的議論“という mere formality と受け取られるわけだ。        

 政府は何故、原発エネルギーの是非について国民の声にもっと真剣に向き合おうとしないのか。首相官邸周辺の金曜夜のデモは回をおうごとに参加者が膨れ上がり、全国に波及しててきた。団地の知人もこれに参加し「すごい人とすごい熱気に驚いた。孫達に、原発のない安心して暮らせる未来を残さなければという思いを強くした」と伝えてくれた。多くの人が、この国の将来を考えて参加しているのである。

 大江健三郎氏らが呼びかけた10月16日の“さようなら原発10万人集会”には17万人(警察関係の推計7万5千人)が参加した。会場の代々木公園ではメーデーの集会などが行なわれ、自分でも参加したり取材したりしたことが何回もあるが、これほどの人が集まったのは見たことがない。

 デモや集会は民意ではないと言った学者がいる。デモや集会が民意の全てを代表するものでないことは当然だろう。しかし、デモや集会が、間接民主主義を補完する重要な手段であることは確かである。問題はそれが、どのような世論をどのような程度で代表しているかであり、それを見極めることは政治にとって極めて重要な意味を持つ。

 私は、こんな杜撰な意見聴取計画で国民の意見を聴いたことにして原発論議を”締めくくる“という神経を疑うとともに、もはやこの政権には国の舵取りを任せておけないのではないかという危機感を持たざるをえない。原発の是非は国のあり方にかかわる重大な問題であり、総選挙の争点とすべきものである。それも、一回の総選挙ではなく、2回、3回と回を重ねて慎重にnational consensusを導き出すプロセスが必要だと私は思う。(M)