Archive for 7月 25th, 2012

英語学習と「訳」(10)

Author: 土屋澄男

私たち一般の日本人の場合には、母語である日本語の習得が進み、その言語によって自己のアイデンティティーがほぼ出来上った後(10歳以降)に、英語を外国語の科目として学校で学ぶことになります。その場合には、新しい言語の学習プロセスは次の2の点で母語である日本語の習得とはまったく違います。

1)学習プロセスのほとんどが意識的になされること

2)すでに習得している日本語の知識を利用したり、逆にそれによって妨害されたりしながら進行すること

 第1の、学習プロセスが意識的になされるということは、日本語を意識せずに英語を学ぶことはほぼ不可能であり、学習の過程でほとんど常に日本語が介在するということです。それは幼児における母語の無意識的な習得とは根本的に違う形の学習プロセスです。かつてクラッシェンは「習得」(acquisition)と「学習」(learning)を判然と区別し、前者は意識下で(または無意識的に)行われるプロセスであり、後者は意識的になされるプロセスであるとしました(The Input Hypothesis: Issues and Implications 1985)。意識の点では、クラッシェンの言うとおり、私たちの英語学習は幼児の母語習得とは大きく異なります。

 しかしクラッシェンは、「習得」と「学習」の区別を強調した結果、発話の能力は「習得」によるのであって、意識的な「学習」によって得られる知識は発話をモニターする、つまり発話の形式を整えるだけの役にしか立たないと考えました(モニター仮説)。つまり、「学習」をいくら積み重ねても「習得」には至らないというのです。これは研究者の間に大きな議論を呼びました。筆者は次の点で、クラッシェンの仮説は言語習得の事実の一面しか捉えていないと判断します。大人の第二言語学習は、幼児の言語習得とは異なる種類の「複合型バイリンガリズム」の達成を目指す、新しい形の言語習得なのです。すなわち、私たち日本人が達成を目指す英語能力は、英語を母語とする人たちの獲得する単一言語の使用能力とはまったく違う種類のものなのです。私たちの脳は英語の学習によって、おそらく、日本語と英語の二つの言語システムが複雑に混在し、それらが前頭葉における何らかのコントロール・システムによって制御されるような「複合型バイリンガリズム」の能力を獲得することになるのです。

 第2の、学習者がすでに習得している日本語の知識が英語学習に影響を及ぼす問題は、母語の「転移」(transfer)の問題として、古くから心理言語学や第二言語習得研究で取り上げられてきました。転移とは、簡単に言うと、新しい言語(L2)を学ぶときに母語(L1)がどのように影響するかということです。その影響には二つのタイプがあり、一つは「積極的転移」(positive transfer)と呼ばれ、L1の知識が新しいL2の学習を容易にするもの。もう一つはL1がL2の学習を妨害する「消極的転移」または「干渉」と呼ばれるものです。これまでの言語転移の研究は、言語間の音韻、語彙、統語構造、談話構造、語用論などの比較研究を盛んにし、数々の興味ある事実を明らかにしました。さらに興味深いことに、L2の学習がL3やL4の学習に転移したり、L2の学習が逆にL1の学習に転移したりすることも認められています。

 ここでこれまでになされた転移の問題をすべて取り上げることはできませんので、日本人が英語を学ぶ場合に、母語である日本語が英語の学習にどのように影響するかを示す典型的な例を取り上げてみましょう。英語を学び始めて最初につまずく文法項目として「冠詞」と「名詞の複数形」があります。これに加えて、日本語とは異なる表現法(We have ~)を挙げてみます。

Teacher(テーブルの上のリンゴを指して):This is an apple. That’s an apple, too. We have two apples on the table.

このような ‘teacher talk’ は英語学習の初期に現れるもので、必ずしも自然な発話ではありませんが、先生は生徒たちにそれぞれの文の意味を理解させ、それらを口に出して言えるように指導します。これらの文には、“an apple” や “two apples” のような日本語には現れない文法形式と、“We have ~” という日本語とは異なる表現形式を含んでいます。先生はいろいろな方法でこれらの文を生徒に理解させようとしますが、それらの形式を正しく表出できるほど深く理解させることは簡単ではありません。じじつ、「冠詞」や「複数形」のように日本語に欠落している文法形式は、学習がずっと進んだ段階までエラーが続くことが知られています。 “We have ~” についてはどうでしょうか。このような表現を、日本語をまったく介さずに深く理解することは可能なのでしょうか。そのことを「訳」と関連して掘り下げてみたいと思います。(To be continued.)