Archive for 8月 13th, 2012

“閉会式”で思ったこと
(1)25日間続いたロンドン・オリンピック、2012がやっと終わりました。この“やっと”という気持ちは、国語辞典にはない用法だと思います。「島民が待望の本土との橋がやっと完成した」といった使い方が普通ですが、「日本のマスコミの扱いにうんざりしている者には、“やっと終わったか”というのはかなりの人の共感であるはずです。「国語辞典はまだまだ欠陥が多い」と言わざるを得ません。

(2)今回の閉会式そのものも感心出来ません。前回のブログでは、開会式のテーマを「自然への回帰」のようなことで、イギリスの19世紀の植民地拡大政策から、「世界の目をうまくそらせた」という趣旨のことを書きましたが、「まず長すぎる」というのが閉会式の感想です。世界の目が集中しているのですから、お国自慢をしたい気持ちは分かりますが、3時間以上も続ける意味はないと思います。残った選手だって、家族や応援していうれたファンたちと語り合いたいのではないでしょうか。

(3)セレモニー(儀式)というものは、結婚式やその披露宴などを含めて、短いほうが良いと私は思います。特に日本の結婚披露宴などは、新郎新婦に関係の無いような昔話を長々とする人がいてうんざりします。今回のロンドンの閉会式もそれに近い印象を持ちました。ビートルズを産んだお国柄であり、閉会式のテーマが「イギリス音楽の調和」だとしても、歌が多いし、長過ぎる印象を持ちました。

(4)しかも、NHK の中継のアナウンサー(男女二人)は、余計なおしゃべりをするものですから、歌を聞きたいというファンも落ち着いて聞けなかっただろうと思います。しかも「今度は白い箱がいくつも出て来ましたよ」「それが中央に集まって来ましたね」などと、画面を見ていれば分かるようなお粗末な描写力です。開会式でも閉会式でも、びっくりさせるような企画があるでしょうから、取材陣にもあらかじめ資料を配るようなことをしないようです。したがって、現場中継のアナウンサーたちも知らないことが多いのでしょうが、描写力の弱さは日頃の訓練の不足によるものです。

(5)ゲームが進行中の7月29日の「産経新聞」は、一面の「くにのあとさき」というコラムに、東京特派員の湯浅 博という記者の記事を掲載していました。4千字程度のコラムで、欲張っていろいろなことを書こうとしたために何を言いたいのかが分かりにくい記事なのですがが、女子サッカーチームの応援に夢中になることを「90分のナショナリズム」とテレビ解説者が評したが、「これは五輪で日の丸が振られると、『健全なナショナリズム』と表現する心理と共通点があるようだ」と指摘し、「それは、政治家の靖国神社参拝や国旗国歌の尊重を『偏狭なナショナリズム』と批判するための差別化である」と書いています。

(6)中国や北朝鮮のような一党独裁の国(今のロシアもこれに近い)の国民と違って、自費で現地に行くような日本人の応援者は、もっと単純な気持ちだと思います。そのことが危険な政治離れ、国家離れだと批判するならば、下手にオリンピックなどと関連付けないほうが良いでしょう。ただし、日本のテレビのように、オリンピックの結果から、「感動話」ばかり抜き出して、それを繰り返し視聴者に押しつけるのはいいかげんにしてほしいと私は言いたいです。(この回終り)

英語学習と「訳」(13)

Author: 土屋澄男

読んで難しいと感じる文章があります。日本語にもありますし、英語にもあります。私たちの母語である日本語を読むときは、難しい文章に出合ってもあまり深く考えずに、分かったような気になって先に進むことがよくあります。ある文章に出合って、よくは分からないけれどもこんなことだろうと見当をつけて先に進みます。ところが読み進むうちに、先ほどの文章の理解はそんな意味ではないということが分かり、最初からもう一度読み直すことになります。皆さん誰でも、そんな経験をしたことがあることでしょう。どうしてそういうことになるのかを考えてみると、文章を読んでそれを理解するというのは、字面(じづら)の意味がわかっただけでは十分ではなく、その文章の根底に隠されている、著者の意図がどういうものだったのか、また著者はどんな気持ちで書いたのか、ということまで理解することが必要だからです。母語の場合には、そういうことが著者の選んだ語彙や文構造や文章の表現法などににじみ出ていることが分かるのです。しかし外国語である英語を読む場合には、そういうことに気づかないことが多いわけです。

 小学校や中学校の「国語」の授業にはそういうことを指導する時間があります。筆者もそういう授業を受けたことがあります。先生が、著者はこの文章をどんな気持ちで書いたのだろうか、などの質問をしたことを覚えています。しかし先生の設問が難しすぎたり、またあるときは易しすぎたりして、どうもピンと来ない場合が多かったように思います。先生の質問の意味がわからなかったり、またなぜ先生はそんな分かり切ったことを質問するのかとかと思ったりして、戸惑うことがありました。きっと教材が学習者である自分のレベルに合っていなかったのでしょう。ところが東京高等師範で受けた英文解釈の授業では、ある英文を読んで著者は何を言いたいのか、著者は建設的な意見を述べているのか批判的に論じているのか、それとも皮肉を言っているのか、などが分からないために訳がうまくできないということがしばしばありました。

 言うまでもなく、訳をするためには原文を完全に理解しなければなりません。曖昧な理解のまま訳そうとすると、かならずゴマカシが露呈します。あるとき英語のテスティングの本を数人で翻訳することになり、監修者として全員の訳文をチェックする役目を引き受けたことがありました。私は原文を全部読んだ後で、いちいち英文を参照することなく、日本語の訳文だけを読みました。そして筋の通らない変な日本語だなと思うところだけチェックし、原文に当たってみました。すると十中八九、その訳に間違いがあることを発見しました。訳者は原文を正しく理解していないために、訳文が論理性を失って読む者にオヤという感じを与えるのです。私たちは母語については、たぶん教育を受けたおかげで、そういう高度な技能を発達させています。これが大人になって学んだ外国語については、なかなかそういう域に達しません。

 では英文の深い読みついて、母語話者のような高度な技能に達していない一般の日本人英語学習者はどうしたらよいでしょうか。そこで登場をねがうのが行方昭夫著『英文の読み方』(岩波新書2007)です。著者はこの本の初めのほうに、「ざっと読み流して大まかな意味を取り、曖昧な訳が出来たとしても、それで英文が「読める」とはとてもいえないのです。コンテクストを把握した上で、書き手の気持ちや言外に込められた意味など英文の裏の裏まで読み解き、それを活かした日本語に直せる力こそが、総合的な英語力の何より重要な基礎だと確信するようになったのです」(5頁)と自分の経験を述べています。

 この文章の中で、「コンテクストを把握した上で、書き手の気持ちや言外に込められた意味など英文の裏の裏まで読み解き」という部分に特に注目したいと思います。それは結局英文を正確に読むことですが、私たちは外国語である英語でも、そのような高度な技能の獲得は可能でしょうか。著者は、この本で述べるような学習を実行することによって可能であると言います。そのために5つのステップを取るよう薦めています。①まず多読によって英文に慣れること、②1語1語を徹底的に研究し正確に読むこと、③論理の継ぎ目に注意しながら読むこと、④行間を読んで「言外」のニュアンスを読み取ること、⑤訳すときに日本語の表現を工夫すること、の5つです。このうち⑤は翻訳の問題になりますので除外するとして、①から④までが「書き手の気持ちや言外に込められた意味など英文の裏の裏まで読み解く」のに必要なステップということになります。ただし、これは英語学習の初級段階を終えた人々へのアドバイスで、まだ初級段階の途中にある人には薦められません。次回には具体的な例を挙げて英文を深く理解する方法を考えてみます。(To be continued.)