Archive for 8月 20th, 2012

英語学習と「訳」(15)

Author: 土屋澄男

前回に取り上げたタイム誌からの引用文の最後のセンテンスをもう一度見てみましょう。それは次のようでした。

The Olympic Park spans 2.5 sq km and houses eight of the 34 Olympic venues, including the main stadium, the water-polo arena and an aquatic center designed by Zaha Hadid, an architect whose buildings appear, like high divers, to defy the law of gravity.(大意:オリンピック・パークの大きさは2.5キロメートル平方で、そこにオリンピック施設34のうち、メイン・スタディアム、水球競技場、水泳競技場など8つの施設が建てられている。それらをデザインしたのはザラ・ハディッドという建築家で、この人の建てたものは、高飛び込み選手のように、重力の法則をまったく無視しているように見える。)

 この訳でおよその意味は理解できたことになりますが、この文章の書き手であるタイム記者の気持ちや意図のようなものをここから掬い取ってみましょう。まずオリンピック・パークに造られた8つの施設のうち、メイン・スタディアムと水泳競技場と共に、私たちにはあまり馴染みのない水球競技場(the water-polo arena)が挙げられているのはなぜだろうかと考えます。これはさほどポピュラーな競技ではなく、日本ではほとんど話題にもなりませんでした。そのための専用の施設が造られていたとは私も知りませんでした。これはじつは、この記事の前の方で記者がかなりのスペースを取って説明していた事柄なのです。水球は19世紀にスコットランド人が考案した競技で、1900年のオリンピック種目に初めて登場し、イギリス男子チームが優勝しました。しかしその後他の国が強くなり、イギリスは1956年以降出場すらできませんでした。女子の水球は2000年のオリンピックから公式種目に加えられましたが、やはりイギリスは出場していません。今回は主催国として男子は久しぶりに、女子は初めて出場が認められたという、わけありの種目なのです。

 次に、上記の記事の最後に書かれている ‘the law of gravity’ に注目してみましょう。これは「重力(引力)の法則」ですが、この語句を見てアイザーク・ニュートンを連想しない人はいないと思われます。その法則を無視するような建造物というのですから、私など思わず心の中で笑ってしまいます。ニュートンの法則を無視することは、イギリスの誇る科学をあざ笑うことになるのですから。これを書いた記者はこの文章にそういう逆説的ユーモアの効果を意図したに違いありません。さらに、それに ‘like high divers’ という語句を挿入することで、いっそうその効果を強めることになります。あの目のくらむような高い飛び込み台から落下するのはよほどの勇気を必要とするに違いないと、私など想像しただけで脚がすくみます。

 ロンドン・オリンピックは心配されたような大きなトラブルもなく(もちろん小さなトラブルはいろいろあったのでしょうが)、無事に終了しました。主催国Team Great Britain (TGB) は予想しなかったメダルダッシュに驚いたようです。終ってみれば金29個を含む65ものメダルを獲得したのですから。日本の選手ならば「やった!」と歓喜するところでしょうが、イギリス選手の多くは控えめに “I can’t believe it!” と言って喜んだようです。テニスのマレーなど、7月のウィンブルドン決勝ではフェデラーに接戦で負けてイギリス人を落胆させたのに、どういうわけかオリンピック決勝では同じフェデラーを相手にストレート勝ちしました。やはりイギリス人にはロンドンでのオリンピックは特別だったのでしょう。

 上記のタイム記者が8月20日号にロンドン・オリンピックの中間報告を書いていますので、その一部を引用します。

Brits excel at losing graciously. The Olympic gold for generosity surely goes to Team Great Britain’s male gymnasts, who were already celebrating their silver medal in July 30 final when a challenge on the scoring for the Japanese team succeeded, demoting the Brits to bronze. “To get a medal is unbelievable,” said Team GB’s Louis Smith, smiling broadly. “Silver? Bronze? It doesn’t matter.” (TIME  August 20, 2012)

この文章は特に注釈を必要とはしないでしょう。解釈は容易でも、これをどのように日本語に翻訳するかとなるとけっこう難しい(下線部など)と思います。単に意味を取るのとそれを自然な日本語に翻訳するのとでは、日本語の表現力という別の技能が必要になるからです。下記に筆者の試訳を載せますのでごらんください。同一のテキストでも、その翻訳は訳者の数だけあります。読者の皆さんも試してみてください。

試訳:イギリス人というのは負けっぷりがいい。オリンピックに「寛容」という種目の金メダルがあったら、それは間違いなくイギリスティームの男子体操選手が獲得することになる。彼らは7月30日の団体戦ファイナルでいったん銀メダルを取って喜んでいたのだが、日本ティームが得点に抗議してそれが受け入れられたために銅に落ちてしまった。イギリスティームのルイス・スミスさんは大きな笑みを浮かべてこう言った。「メダルを取れたなんて信じられないよ。銀だろうと銅だろうと、どっちだっていいさ。」 (To be continued.)